『疎開の風』

 小説『疎開の風』、梅田秋義著(文芸春秋09年10月刊、¥800)を読みました。

 デンソー出身の東野圭吾氏(「容疑者Xの献身」の著者)と並んで梅田氏(大同メタル社出身)、自動車部品会社出身の二人目の作家が誕生しました、と言って良いくらい、文章は巧い!

 「工場勤務の傍ら小説を独学」と著者略歴にあるが、これだけの文章力を身につける努力に敬意を表します。

 残念なことに、私見では暇瑾があります。

 一つは、終盤で女教師の北見が煙草屋の親父に身体を許す場面、唐突で、ストーリーの必然性に欠けるのです。

 もう一つは、題名。『疎開の風』の意味がピンと来ない。

 「あとがき」には「出版社の諸々の事情があって改題した」とありました。最後の最後で、主人公母娘が疎開者で、他の疎開者は戦後落ち着き先を見つけて引き払ってしまい、主人公たちだけが、村に残ると言う説明がありますが、小説は説明文がなくても納得できる書き方が欲しいと思います。何か、題名に合わせて説明が入ったような具合です。

 あとがきに「長崎在住の太公望、森尾栄一氏からは、ヒロイン月子の再登場を待っているからと再三お手紙を頂き・・」とありましたが、魅力的な主人公です(月子は酌婦の産んだ私生児、産まれて三日目の満月に因んで付けた名)。


 月子のストーリーを読んで、全然関係ない沖縄里謡の「十九の春」を思い出しました。

「主さん主さんと呼んだとて 主さんには立派な方がある。

いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ片思い

 奥山住まいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して

春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた」

 「十九の春」の主人公は、月子みたいな女だろうなと、思ったのです。