何故経済学は自然を無限ととらえたか

三菱UFJ証券の水野和夫さんが、資源の有限性が経済成長を制約するという発言をしていました(10/27中日)。
民主党政権に対し、成長戦略が見えないとの批判が多い。それは近代社会がよってたつ基盤が揺らいでいなければ正しいが、21世紀のグローバル化はそれを突き崩している。世界の67億人が「成長」を目指すには地球は小さすぎる。だとすれば、近代化の先頭を走る日本に課せられた課題は、「欲望の開放」から卒業し、地球の存続可能性を目標とすべきだ。先進国の成長を裏側で支えたのが、化石燃料や食料など資源を安く提供してくれた資源国をはじめとする途上国だった。】
 もう一つ、私が、元勤務していたD社では、7〜8年前、私が勤務していた本社および名古屋工場(本社工場)を閉鎖し、工場を犬山に、本社は広小路(名古屋の繁華街)に移転して、跡地を有効活用(つまり売却あるいは貸地)しようとしました。ところが、工場として使用した土地は、カドミウムトリクレンが土地に染み込んでいますので、そのままでは売れない。土地浄化事業として、表面の土地を掘り取って、汚染されていない土を持ってきて埋めたのです。その費用10数億円。
 本社工場の稼いだ金の10数年分以上を費やしたことになります。すると、(本社工場は)決算で儲かったことになっていたが、実際はずっと損失を出していた?当時の決算が間違っていたわけではない。トリクレンなどが公害を起こすなど、当時誰も知らなかったから、処理費用を引き当てるなどということは、考えもしなかったのです。
 従来の経済学や、それに基づく経営学は、資源の有限性の影響や廃棄物の問題をどう取り扱ってきたのか?
 これに関する参考文献はないだろうか?愛知県図書館で探して、見つけた本が、『何故経済学は自然を無限ととらえたか』(中村修著、日本経済評論社、95年9月刊)です。
 この本で、資源や廃棄を考慮しないのは、経済学が自然を無限と仮定したからだと結論7していました。すなわち、自然が無限ということは、資源が無限に存在することを意味し、大気も水も土壌も無限にあるから、大気汚染や土壌汚染など廃棄物の問題をメインの課題と捉えていない。
 本の冒頭は以下の言葉で始まります。
『われわれが経済的に「生産」とみなしていることを注意深く観察すれば、それが単なる地球の資源の「加工」に過ぎなくで物質的・エネルギー的には何も生み出さず、「消費」しかしていないことに容易に気づく』


親から引き継いだ資産は使えば使うほど減少していくから、遺産を消費することを「生産」とは言わない。ところが、この遺産が地球規模の石油や資源になると、資源を消費して商品に加工することを生産とよぶ。自然を消費しているにも拘わらず、経済学では「生産」と認識する。
何故か?著者によると、
リカードは、彼の「経済学原理」の冒頭で、「無限に生産される商品」を理論の前提とすると明言する。そして、比較生産費説を展開し貿易が互いの国にとっていかに有益かを説く。
貿易擁護と彼の学説には、密接な関係がある。たとえば小麦の生産を考えると、土地の制約があるから無限には生産できない。しかし、外国から輸入すれば無限とみなすことが(少なくとも当時の英国にあっては)可能であった。
アダム・スミスはどうか?
彼は「人々を養う生産には限りがあり無限ではありえない」(諸国民の富)と明言し、自然は有限であり、その生産物も有限とした。
リカードを引き継ぐミルは、リカード同様、経済理論を議論する前提として「制限のない生産物」つまり無限の商品をおいた。
現代の経済学ではどうか?
たとえば、マルクス経済学における経済の再生産や拡大再生産。近代経済学における企業や消費者の活動では、これらが永遠に続くかのように論じられていて、いつまで続くのか、どこまで成長するのかは明記されていない。このような姿勢は、明らかに無限の自然という仮説を利用しているということである。
経済学が「無限の自然」を与件とするということは、経済活動によっても自然はなんら変化(劣化)しないものと仮定することである。

要するに、有限な地球の上で、『400年かけて豊かになった10億人の先進国に対し、40億人の新興国の人々が1,2世紀で豊かになれると期待』して経済成長を続ける現代の経済を、(「自然は無限」という前提で組み立てられた)現在の経済学では説明出来ないということなのです。
日本が、バブル崩壊後の経済再建がうまくいかないのは、経済政策の理論が国民国家を前提として組み立てられており、グローバル化経済に適合できないのに、従来通りの景気政策を続けてきたからだ、と愚考します。
同様に、今日の世界不況を説明できて、対応できる経済理論がまだ出来ていない。将来、そうした経済理論が完成するとするなら、その理論は、「自然が有限である」ことを前提とした理論であろう。
この本を読んで、私の感じた結論です。