数学は言葉

 以下、「数学」に関する3題です。
 先日話題の福岡ハカセ週刊文春1月21日号で、数学の話題に触れています。
【フランスの数学者アンリ・ポアンカレは今から100年以上前に次のように書いた。「数学と言う科学の存在自体が溶けない矛盾のように思われる」(M・ガッセン著『完全なる証明』より、青木薫訳)
 専門の数学者たちが考えている難しい内容はよくわからないながらも、私たちは、数学ほど厳密な論理と証明で構成されている完全な科学はないと思っている。それがなぜ“解けない矛盾なのだろうか。・・・・(中略・・自然科学ではあたまの中で考えたら、それを実験で確認しなければならないと述べます)・・
 数学者は、実験することが許されないのだ。数学者も頭の中で、仮説と言う名の論理を組み立てる。しかし仮説を一旦あたまの中から取り出して、それが本当に起こっているかどうか現実の現象に当てはめて証明することができない。証明もまたあたまの中で行われなくてはならないのだ。
 あたまの中にとどまる限り、空想上の絵空事にすぎないはずの仮説は、いったいあたまの中でいかに証明されるというのだろうか。
 まさにポアンカレはこのことを指して、数学と言う科学は解けない矛盾だといっているのだ。あたまの中で生み出された仮説をあたまの中だけで証明する。もしそうであるなら「数学は、壮大な同義反復に帰着するのではないだろうか?」彼はそう述べている。】
(ついでながら、「正月そうそうキツネにつままれたような話ですみません」と福岡ハカセは断っている。)
 要するに、数学は実験で理論を証明できない。私は、実験が出来るのが、自然科学だと思っていますので、数学は自然科学ではない。むしろ哲学の一分野で、あえて言うなら文科系の学問だと思っています。

 期末試験で『数理科学の方法』なる科目の試験を受けましたが、これは難しかった。
テキストを読んでも、(もちろん日本語でかかれているのですが)全然意味がわからない。
 フーリエ級数から始まるのですが、これについては何度か読み直し、50年ほど前の記憶を呼び起こし、なんとか、こういうことらしいと分かって来ましたが、終りのほうの位相数学になってくると、読んでもまったく分からない。これって日本語?と思いました。
 分からないのは、数学の言葉がわからないからだ。数学もこの辺になってくると、外国語を学ぶと同様「数学」という「言葉」を知らねばならない。そう思って、図書館で調べたら「数学は言葉」(東京図書、09年9月刊)という最近の本がありました。
 著者は新井紀子さん。経歴を見ると、一橋大学法学部卒、イリノイ大学数学科博士課程修了、理学博士。現在国立情報学研究所教授、社会共有知センター長。専門は数理論理学とある。法学部を出て数学の専門家という珍しい経歴です。
 「数学」が分からないのは、「数学語」が分からないからだと、「数文和訳」(数式を日本語に翻訳)や「和文数訳」(日本文を数式に翻訳)の例題をあげて説明していました。
 著者によると、日本語は「数学」に翻訳しにくい言語だそうです。
 数学文の和訳という発想が面白い。「位相数学」の文を和訳することから再勉強してみようと思いました。

 もう一つ、放送大学の通信添削問題にこんな問題がありました。
フーリエ級数論、三角級数論への取り組みの中から、あるいはその影響を受けて生まれ育って数学ではないものを、次の?〜?の中から一つ選べ。
? リーマンによる積分
? ガロアの方程式に関する理論
? カントール集合論
? デイリクレの関数概念の明確化
(言い換えると、4項のうち3項は、フーリエ級数の研究を進める過程で生み出された理論だということです。)
 正解は?、つまり他の理論がフーリエ級数の研究で生み出されたのです。
 以上、ややこしい話だったかもしれません。