国際環境の変化と日本経済

『国際環境の変化と日本経済』(伊藤元重編、慶応義塾大学出版会、09年11月刊、全393頁)を読んでいます。
 「修士論文の参考書として読んでみてください」と指導教官にアドバイスされたのです。
内閣府の経済社会綜合研究所のプロジェクト「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策研究」で、80年代以降にわが国経済が経験したバブルの発生と崩壊、その後の「失われた10年」、世界経済史上における稀な経験を踏まえて、日本経済と経済政策の評価を試みた研究を全7巻にまとめた、その第3巻です。

 第5章は、小川英治さん(一橋大学教授)が担当した『通貨政策の変化』。
 研究対象期間は80年代以降です。
 プラザ合意前後の日銀の金融政策反応関数を計測することで、日銀の金融政策が1985年9〜12月には金利を引き上げて、円高誘導政策が行われたが、1986年以降、金利を引き下げて、円高抑制政策に転じたことを明らかにする。とくに、86年以降の円高抑制のため実施された金利引下げ政策は、その副産物として80年代後半の資産バブルを引き起こしたことから、その後のバブルおよびバブルの崩壊との関連で重要な通貨政策であったことを明らかとなる。
 85年9月のプラザ合意そして87年2月ルーブル合意は、G5あるいはG7による通貨政策の国際協調と見られる。
 95年4月に1ドル=80円という第二次大戦後の史上最高値、91年以降の為替介入の日時データを利用しながら、90年代における為替介入の実施状況について分析を行う。
 97年7月にタイ・バーツ危機から始まったアジヤ通貨危機、事実上のドル・ペッグ制度の下で円ドル相場が円安ドル高(160円/ドル台)の進行で、東アジヤ通貨は円に対して増加していたと指摘する。
 東アジヤの最初の地域金融協力としてチェンマイ・イニシアテイブは、2国間通貨のスワップ取り決めのネットワークが通貨危機管理として設立された。その後の展開にも触れています。

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