『不良債権と金融危機』(池尾和人編、慶応義塾大学出版会、09年12月刊)。

編者は序章でこう述べています。
「米国発の金融危機に際して、わが国の経験を米国はじめ世界に伝えるべきだという主張がなされた。しかし、経験を他者に伝えるためには、自らがその経験を教訓化できていなくてはならない。そうした教訓化の必要性を自覚していたがゆえに、この研究プロジェクトが企画・実施されたわけだが、残念ながら、いまの世界金融・経済危機には間に合わなかった感がある。」
「わが国が1990年代に経験した金融危機は、その本質において「銀行危機」であった。それは、日本の金融システムが銀行優位の間接金融体制を中軸としたものにとどまり続けていたからである。そして、こうした金融システムのあり方と実体経済の変化との間のヅレが、危機を準備したと見なされる面がある。このかぎりでは、1980年代における金融制度改革の挫折が90年代の金融危機の遠因になったといえる。」
 日本経済の成熟化に伴い1980年代を迎える頃になると、従来は日本の銀行部門の主たる顧客であった製造業部門からの資金需要は基調的に低下し、金融保険・不動産・建設業に属する企業群に、「新たな顧客」を見出そうとした。この業種を除くと銀行貸し出しは、経済成長率とほぼ同じテンポでしか増加していない。
 日本の銀行は、製造業に属する企業に対する審査能力は蓄積してきたが、この種の新たな顔ぶれの企業に対する審査能力は十分でなかった。不動産担保に過度に依存した貸し出し行動が見られるようになった。
 ここから、地価の動向が銀行経営を左右すると言う関係が成立する。
各章の要旨は、
1. 地価変動に翻弄された日本経済
2. 土地税制と地下の変動
続いて、不動産バブルの崩壊後、日本の銀行部門は膨大な不良債権を抱え込む。
3. 銀行経営と監督行政
問題を抱えた銀行が大量に出現してしまった後での最適な政策対応のあり方。
4. 借り手企業の破綻法制と銀行危機
5. 銀行の経営悪化と破綻処理
6. 生命保険会社の経営悪化 生保へも分析をすすめる。
民主主義社会においては、実施可能な政策は政治的に許容可能なものに限られる。
7. 公的資金投入をめぐる政治過程
8. 不良債権処理政策の経緯と論点
2005年には、長きに渡った不良債権問題もようやく終息した。ただし、これが「金融再生プログラム」といった政策対応によるものか、景気回復によるものか?
9. 長期不況と金融政策・為替レート(後述)
10. バランスシートの毀損と実物経済
11. 不良債権で失われた資本と産出
 民間設備投資のGDPに占める比率は、80年代の前半には13%前後であったものが、90年ドンは19.34%まで拡大。これにより過剰資本ストックが形成される。一般に資本ストックには、汎用性が乏しく特定の用途にしか使用できないものが多い。その場合、柔構造との適合性を失ってしまった資本ストックについては、物理的減耗はまったく起こっていなかったとしても、経済的には意義がなくなっているという意味で、非物理的減耗が起こっている。
12. バブルとアジヤの資本移動変化
日本が深刻な金融危機にあった1997年には、アジヤにおいても通貨危機が発生し、大きな混乱がもたらされた。このアジヤ危機の経験を踏まえて今後のアジヤ域内での資本移動のあり方を、最終章で論じている。

第9章(深尾光洋)での「為替レート論」が面白い。
 為替レートは、短期的には政府要人の発言など外的ショックでも大きく変動するため、モデル化して説明するのは困難である。しかし中長期的にみれば、内外金利差や累積経常収支といったファンダメンタル要因からある程度説明できると、円ドルの購買力平価を図示している。
 しかし、95年前後の円高と、06年以降の円安傾向については、さらに説明が必要では?と感じた。