検察が危ない

『検察が危ない』(郷原信郎著、10年4月刊、ベスト新書)を読んでみました。
著者の履歴をみると、「1955年島根県生まれ、東大理学部卒、1983年検事任官。2006年弁護士登録。現在名城大学教授、総務省顧問・コンプライアンス室長・・・」とある。最近、特に小沢幹事長の不起訴問題で、雑誌の対談に登場することしばしば。理学部出身の検事経験者が、「小沢問題をどう考えているか?」に興味を抱いて、本を手にしました。
 著者の立場を「まえがき」でみると、
【09年3月、当時民主党代表小沢一郎氏の公設第一秘書、大久保氏が政治式規正法違反の容疑で逮捕され、更に翌10年1月、石川衆議院議員を含む小沢氏の秘書および元秘書3名が同法違反で起訴に至る。】これらの事件をめぐって、
【検察の捜査・処分・公判は、検察の実務に関った経験をもち、刑事司法を担う機関として検察の重要性を認識する者、検察という存在に思い入れを持つ者にとって、まさに悪夢そのものだった。】
 一つ付言しておきたい。【私は、単に、検察の捜査・処分の在り方について一人のOBとして問題を指摘しているだけであり、いかなる政党、政治家も擁護したり支援する意図はない。】
 結論を後書き「おわりに」で見ると、
西松建設事件においては、まったく実態とかけ離れた「天の声」ストーリーを追い求めて、多くの応援検事が、連日、ゼネコン関係者を取り調べるという無駄な捜査に駆り出された。その結果、裁判所にも到底受け入れられない程度の立証に終わったという惨憺たる結果・・・】
 結論は【今、検察が危ない。無条件に「正義」だと信じられてきた検察は、暴走と劣化を繰り返し、日本の社会にとって非常に危険な存在となっている。】のだという。
 著者の主張の詳細は、この本を読んで頂くしかありませんが、一つだけ「なるほど」と思った記述(検察劣化の一因)を紹介します。
【従来の特捜部の捜査手法は、主任検事が捜査目標に向かって設定した一定の「ストーリー」に沿った供述を得るために、多数の応援検事が長期間に渡って被疑者・参考人と対峙して取調べを行うというやり方だった。
 応援検事には、必要最小限の情報しか与えられず、事件の全体像は示されない。事件の全体像を把握し捜査の方向性を判断するのは主任検事とその上の副部長、部長で、応援検事がやるべきことは、余計なことを考えないでストーリー通りの供述調書に署名させられるように粘り強く取調べを行うことだけ】
【このような捜査体制はコックスと漕ぎ手8人のチームで、直線水路で速さを競うボート競技のようなものだ。漕ぎ手はボートが進む方向もわからず必死に漕ぐだけ・・・コックスだけがボートの進行方向を把握する。】
【まったく反対に、個人の主体性と判断を最大限に活用するのが「サッカー型フォーメーシヨン」である。
 現代の検察に要求される捜査方式は、サッカー型であるべきと筆者は説いていました。