「分かち合い」の経済学

“「分かち合い」の経済学”(神野直彦著、10年4月刊岩波新書)を読みました。
まず、「あとがき」の一節を紹介します。
【若き頃、私の勤務していた自動車会社の教育施設が、鎌倉の由比ガ浜にあった。私は人事の担当者として管理者教育のために、よくそこを訪れた。昼休みに海岸まで散歩の出かけると、ステッキを持ちながら優雅な和服を身にまとい、軽やかに散策する高齢の男性と出会ったものである。】
由比ガ浜に打ち寄せる波音に耳を傾けながら、自分もあの男性のように年老いたいと夢見ていた。・・・若き私に衝撃的事件が押し寄せる。・・その男性が自ら命を閉じたのである。・・遺書には「老醜をさらしたくない」という趣旨がしたためられていたと聞いている。作家の川端康成である。】
【私も年老い、「老醜をさらしたくない」という、言葉の重さが、分かるようになってきた。】
この「老醜をさらす」という言葉から、東大教授を定年退官したという著者は、相当の年齢の方かと思ったら、何と私より10歳も若い学者でした。
本文は以下の言葉で始まります。
【政治を束ねる責任者が「格差のどこが悪い」。「格差のない社会などない」とあてがみをふるわせながら絶叫する社会は、「絶望の社会」である。そうした「絶望の社会」を世界恐慌という悲劇の荒波が襲えば、地獄絵をみるような極苦の世界を目の当たりにすることは、火を見るよりも明らかである。
確かに、歴史的にみても地理的に眺めても、格差や貧困のない社会などない。人間の歴史を振り返ると、人間の歴史とは格差と貧困を解消するための闘いの過程だったといっても大袈裟ではない・・
ところが、「格差のどこが悪い」、「格差のない社会などない」と豪語する権力者の言葉は、格差と貧困の解消に努力した末の失望の言葉ではない。格差と貧困の存在を積極的に肯定する為政者の言葉なのである。】
以上の文章と“「分かち合い」の経済学”という書名で、著者の言わんとするところは、読み取れる。
私は、経済学とはお金に関係する現象を研究対象とする学問と考えていましたが、著者によると、それは(競争原理に基く)貨幣経済であり、もう一つ(協力原理に基く)「分かち合い」の経済とも称すべき分野がある。例えば、家庭における主婦の労働の如く、貨幣のやりとりがなくても、重要な分野がある。この二つの経済は、適切なバランスが大事で、市場経済の拡大により無償労働が減少しすぎること問題であることを、明快に解説しています。
「経済システムとは人間が自然に働きかけ、人間の生活に必要な財を生産し分配するシステムである」と、著者は言う。
今年もっとも「眼から鱗」の本でした。以下、さわりを二,三 紹介します。
著者によると、1973年に三つの大事件が起きた。
第一は、1973年の9.11である。9月11日、チリのアジェンデ大統領が、CIAの関与する軍のクーデターで惨殺される。大統領に就任したピノチェット将軍は、軍事独裁政権を確立し、新自由主義の政策を押し進めていく。
第2は、石油ショックである。バレル3ドルから11.6ドルに跳ね上がった。
第3は、11月、ニクソン政権が固定為替相場から変動相場制に移行させた。
これらが時代を変えて、グローバル化新自由主義の時代に。
国境を越えてグローバルに動き回る資本が、新しい産業構造の創出に向かったというわけではない。資本統制を解除してしまうと、高額所得を形成する資本所得に対して、法人税や累進的所得税で重課することが困難になる。法人税や累進的所得税で資本所得を重課しようとすると、資本逃避が一瞬のうちに生じてしまうからである。
そうなると、所得再配分が困難となる。もちろん、新自由主義の主張に従って労働市場への規正を緩和すれば、市場における所得分配は不平等になる。さらに加えて、財政による所得再分配を弱めれば、当然のことながら、不平等は激化する。・・社会に亀裂が生じて、社会統合が困難となる。そこで「新自由主義」は「小さな政府」を目指すけれども、民主主義を弾圧する「強い政府」を主張することになる。(第2章)
市場原理主義者はしたり顔で主張する。「市場原理こそ究極の民主主義なのだ。史上では契約自由の原則にもとづいて、誰に強制されることもなく、財・サービスを自由に選択することができるからである」。
しかし、市場での選択は民主主義とは相反することを忘れてはならない。民主主義ではすべての社会の構成員に、同じ権利が与えられて決定する。簡単に表現すれば、一人一票の権利が与えられて、その社会の意志が決定される。・・・市場では購買力に応じて、権利の大きさが決定する。つまり、所有する貨幣量に応じて、決定権が公使されることになる。(第6章)
1998年度以降、新自由主義にもとづく構造改革としての大減税が実施されていく。それまでの減税が所得税の減税に重点があったのに対して、1998年度以降の構造改革としての大減税では法人税減税に焦点がしぼられていく。次いで高額所得者に対する所得税減税が展開されていく。
1999年には法人税の税率が34.5%から30.0%に大幅に引き下げられ、1兆6940億円の減税が実施される。さらに6430億円に達する租税特別措置による減税が実行され、法人税だけで2兆3370億円もの大減税が実現した。しかも地方税の法人事業税で税率を11.0%から9.6%へと引き下げることで、2兆610億円もの大減税が実施されたのである。
2000年代になると、日本の法人税の税率が国際的に高いということが、先進国との比較では唱えられなくなったために、経済界は発展途上国を引き合いに出し、「アジヤ並みに法人税を引き下げる」ことを要求し始めていた。
高額所得に対する所得税の減税も、1999年度の税制改正所得税最高税率が50%から37%へと大幅に引き下げられるとともに、住民税の最高税率も15%から13%に引き下げられていく。
財政収支が赤字だから、「分かち合い」(社会保障など)を削減するという論理は、現実には減税によって財政収支の赤字を創り出し、それを根拠に「分かち合い」の削減を正当化するという過程を辿っているのである。(第5章 いま財政の使命を問う)

工業化社会から知識社会にシフトすると、家庭内で無償労働に従事していた女性も、労働市場に参加するようになる。なぜなら、知識社会において基軸となる産業は、知識産業やサービス産業というソフト産業系だからである。重化学工業時代のように、同質の筋肉労働が大量に必要とされることはなく、女性労働も大量に必要になる。そうなると、これまで女性が担っていた家族内の無償労働による対人社会サービスの生産が困難となり、政府が福祉サービスなどの対人社会サービスを提供せざるをえなくなる。(第3章)
鉄の鏃を鉄鉱石から製造する時にも、自然に存在する物質に、知識量を加えるようにして製造する。しかし、鉄の鏃を製造する時よりも、心臓のペースメーカーを製造する時の方が、自然に存在する物質に加える知識量は、飛躍的に増加することになる。ポスト工業社会とは知識社会ということができる。(第7章)
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