ユニクロ型デフレと国家破産

ユニクロ型デフレと国家破産』(浜矩子著、2010年6月刊文春新書)は面白い本でした。
少し長くなって恐縮ですが、以下に紹介します。
失われた10年」あるいは「20年」と言われる近年の日本経済不調の時代、私が疑問に思っているのは、この間の日本の経済対策が、不調の原因をキチンと確認して立案されたものかどうか、ということです。
 例えば、企業でクレームが発生した時、そのクレームの原因を把握しなければ、再発防止のためどんな対策をとればよいのかが分からない。
 日本の政治家と政治に関った経済学者は、経済不況の原因を把握していたのだろうか?
 この本で浜さんはこう述べる。
『 経済学の使命は、「いま、何が起きているか」を歴史的な考察の上に正確に捉えることにある。・・・
 しかし、経済学者はいつの頃からか、いかに素早く処方箋を出すかを競い始めた。経済学者たちも政府内のポストや名誉欲に突き動かされて、自らが得意とする処方箋にあわせて後付け的ないつわり謎解きを披露するようになった。
 重病患者を治療する際、患部をよく診ないまま、外科医は手術で治す、内科医は薬で治す、と互いに言い張り、縄張り争いをしているように見える。
 経済学にはストーリーが必要だ。いま、何が起きているのか、その原因は何か。これからどうなるのかを、一つの筋書き=物語として説明できなければ、経済政策の有効性は望むべくもない。それゆえ経済学者は・・・優れたストーリーテラーでなくてはならない。』

歴史的考察という意味で、米国の経済とドルの歩みを振り返る。
レーガン大統領は、“インフレなき高成長”の黄金時代を高らかに喧伝した。
だが、このときインフレをおこさなかった裏には、面白いカラクリが隠されている。
 一言でいうなら、“ドル高”だったからだ。(海外から割安な輸入品がどんどん入ってくる)
 何故ドル高だったのかといえば、アメリカにカネが集まってくるから、つまりアメリカのドルが基軸通貨であり、その金利が高かったからだ。
 アメリカが高金利政策をとった元をただせば、アメリカ経済が“双子の赤字”を抱えていたからに他ならない。
 この資金が世界中からアメリカに集まってくる状態を“グローバル化”と称した。
 世界がグローバル化すればデフレになる、とは必ずしも言い切れないが、21世紀も10年経ち、グローバル化が競争を激化する力学であることが明らかになってきた。その意味でグローバル化が強いデフレ力学を内包しているといって間違いないだろう。
 一方で、金融の世界もグローバル化されてゆく。かってないほどの規模でカネが世界を駆け巡り・・利益を求めて、儲かるところに集中するのが金の本質であることを考えると、資産インフレが非常に起き易い。
 この実物デフレと資産インフレが共存することは、歴史的に見てきわめて特異な状況であるが、現在の“グローバル化時代”の経済の大きな特徴である。
 政府が、資産インフレを退治しようと金融を引き締めれば実物デフレが更に悪化し、実物デフレを何とかしようと通貨膨張政策を行えば、資産インフレがひどくなる。

 グローバル化の時代、アメリカと同じ手法で、収益を上げようとした国があった。
北太西洋に浮かぶアイスランドは人口30万人の小さな国だ。1990年代、アイルランド経済特区などの成功例を参考に「漁業立国」から「金融立国」への転換を目指しアメリカ型の金融システムを積極的に導入した。
 金融の自由化は順調に進み、2006年には、国内銀行第2位のランズバンキが、イギリスでネット銀行「アイスセーブ」を開設し、年利6%以上という高利回りで人気を博した。インターネットバンキングという手軽さも手伝って、ヨーロッパ各国から預金が集まり、とくにイギリスでは、国民の30万人がアイスセーブに口座を作った上、100以上の地方自治体、オックスフォードやケンブリッジなどの有名大学も、多額の資金を預けたという。その預金総額は40億ポンドにのぼった。
 同年、アイスランドは、国民1人あたりのGDPにおいて、世界3位(日本は18位)となる。
 リーマンショック4ヶ月前の08年5月には、オランダにも「アイスセーブ」を開設し、こちらも利回りは年利5%以上、17億ポンドを集めた。
 破綻してから明るみに出たことだが、カウプシング、ランズバンキ、グリトニルの上位3行の外貨借り入れ残高は、アイスランドの名目GDPの10倍にあたる、2000億ドルに達していた。これらの資金は、サブプライム・ローンがまぶされた証券化商品など“ハイリスク商品”で運用されていた。
 ところが、08年9月リーマンショックが起こり、アメリカの金融市場に激震が走るとたちまち資金繰りに窮し、9月29日にグリトニルが国有化される。10月6日、アイスランドの銀行は、市場での資金調達が不可能になった。同日、政府は「非常事態宣言」を出した。
 10月8日にはランズバンキが、9日にはカウプシングが次々と国の管理化におかれ、ランズバンキに預金を持つ外国人の口座も凍結された。海外からの預金の引出しができなくなると、イギリスやオランダなど大口顧客の損失補填をめぐり、EU諸国を巻き込んでの大混乱に陥り、アイスランドクリーナは半値に暴落した。
 破綻前夜のアイスランドでは、金融や不動産業がGDPに占める割合が、じつに26%をしめ、かつての基幹産業だった漁業は、6%にまで落ち込んでいた。

 リーマン・ショック以前まで遡れば、そこで金融暴走の下地作りに一役買っていたのは、実を言えば日本であった。慢性金欠症のアメリカに向かって、ゼロ金利の日本から大量の資金が「円キャリートレード」の形で流れ込んでいたのである。
 低利の円を借り入れて、利回りの高いドルなどの資産で運用する“円キャリ“の総額は、日銀がゼロ金利政策を始めた1999年から現在に至るまでの間に、40兆〜50兆円に達したとみられる。その大半が米ドルで運用されてきたのである。
 こうした金の回り方が、地球経済的なモノの清算と取引の在り方にも、大いに影響を及ぼしてきた。例えば、自動車である。世界の自動車生産台数をみよう。2007年の7300万台をピークに、リーマン・ショック後は大きく落ち込んだが、それでも現状で6000万台を上回っている。いかに中国、インド、ロシヤ、ブラジルなど、いわゆる“BRICs新興国の発展に伴う実需が大きいとはいえ、それだけで、ここまで自動車の生産規模が膨らむとは考えにくい。
 地球的な自動車生産の水準を大きくそこあげしているのが、要するに金融である。本来であれば、自動車を買えるはずがない人々に、自動車ローンを提供して自動車を買ってもらう。こうしてカネ回しガモノづくりを振り回す。この構図が定着する中で、世界の自動車生産台数もかさ上げされてきたのである。
 そもそも、日本から莫大な金が流れ込んでいかなければ、リーマン・ショック前のアメリカが2〜3%の経済成長率を持続的に実現することさえ難しかったかもしれない。もしかすると、リーマン・ショックも起きなかったかもしれない。
 アメリカ大統領に就任したバラク・オバマが2009年十一月日本で行った演説には、なかなか驚くべきものがあった。
アメリカがモノを消費し、そのアメリカにアジヤがモノを売る構図がいつまでも続くと思ってはいけない。アメリカ人は、貯蓄することとを覚え、アメリカ産業は輸出することを覚えなければあらない。」
 年が変わって2010年1月27日の一般教書演説では、これから5年間でアメリカの輸出を2倍に増やし200万人の雇用を支える、と具体的な数字目標を掲げてみせた。
 アメリカの大統領が「貯蓄することを覚え、輸出することを覚えなければならない」という趣旨の発言をしたのは、少なくとも戦後初めてではないか。
 現在の状況からアメリカの輸出を2倍に増やすことは至難の業だ。・・・よほどのドル安を実現しなければ輸出倍増計画の実現は難しい。その意味で、アメリカの輸出立国宣言は、とりもなおさず、ドル安追求宣言でもあると考えざるを得なくなってきる。
 難しくはあるが、いずれにせよ、ドルが減価するという形で通貨調整が進まなければ21世紀の地球経済はいつまで経っても、バブルと恐慌を繰り返す無限ループを脱却できない。
 では、具体的にどこまでドルが下がればいいのだろう?
やや過激ではあるが、私は、1ドル=50円レベル、つまり、このところの1ドル=100円前後を基準に考えれば、「ドルのハーフサイズ化」が目安になるとみている。そこまで下がれば、現在の異常な金回りは、かなり是正されるだろう。
 だが、ドルの価値が半減となると、「日本からアメリカに輸出できなくなるがどうする?」、「そういう形で清算を図れば、いま以上に“大恐慌”の危険を生ずるのではないか」という声があがると思う。
 だが、だからといって円高回避に腐心してばかりいれば、それは、カネ余りとアメリカのドル垂れ流しの構図を長引かせるばかりだ。
 輸出競争力低下の裏側にあるのが、輸入購買力の上昇だ。円安をテコにした輸出立国主義は、要するに安物売りの割高買いにほかならない。一つの輸入品を買うためにたくさんの輸出品を売りまくって購入資金を稼がなくてはならない。これに対して、自国通貨の価値が高ければ、あまりあくせく働かなくても、海外からモノを購入できる。一単位の輸出品の値打ちで何単位の輸入品が買えるか、という計算を行った結果を「交易条件」という。1ドル=50円まで円高が進めば日本の交易条件は大幅に改善する。
 (上記の太字部分は、作成中の小生の修士論文の結論と同じです。)
 最後に、浜さんの小泉・竹中改革への批判について述べます。
グローバル化が一国の社会に及ぼす影響を考えると、
グローバルジャングル化が進行するほど、落ちこぼれる人々に対する社会的救済、つまり政府の福祉国家的な役割が浮上してくる。実はグローバル化が進めば進むほど、新自由主義とは逆の対応が政策や仕組みに求められることになるわけだ。
 ほうっておけば弱いものから淘汰される社会状況にありながら、社会のセーフテイネットの役割を果たすべき政府が、弱者救済という考えを排除する路線で動いていた。
 非正規雇用の人が解雇されるや、食も住まいも剥ぎ取られ、一気に日雇いに行くほど、買い叩かれる状況は、どう考えても尋常ではないし、そこに政策の大いなる過ちが存在することは間違いない。』
以上を簡単に要約すると。
『経済をグローバル化すれば、日本の労働者は、中国やインドの労働者と競争することになる。年収が200万円に満たない労働者が激増しても、不思議でない。だから、グローバル化を推進するのならば、セーフテイ・ネットの強化を行わなければならない。ところが、小泉さんも竹中さんも、この点について一言もふれなかった。逆に“自己責任”の言葉でセーフテイ・ネットの切り捨てに進んだ。“政策の大いなる過ち”と言わずして何であろうか。
政策に誤りがあった時、最も弱い立場の人が、最大の被害を受ける。被害を受けないためには、最も弱い立場にならないよう心がけるしかないのか!』
以上、蛇足でした。