基地問題は外交問題

 日米安保の正体」からのさわり「日米関係と北方領土問題」。(「日ソ関係と北方領土問題」のタイプミスではありません。)
 そもそもの始まりは、ヤルタ協定、「千島列島はソ連邦に引き渡されるべし」と定めた。1951年対日平和条約において、日本に千島列島を放棄させるが、この放棄される千島列島の範囲を曖昧にしておけば、この範囲を巡って日本とソ連は永遠に争うことになり・・・という趣旨の在京英国大使館初英国本国宛ての極秘意見具申電報がある(『日露外交秘話』丹波実元ロシヤ大使著)
 英国人はそういうことを考えていたのかと驚く・・・実は米国自身にも同様な考えがあった。マイケル・シャラー著『「日米関係」とは何だったかのか』の記述によると、
「千島列島に対するソ連の主張に異議を唱えることで、米国政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした。実際、すでに1947年にケナンとそのスタッフは領土問題を呼び起こすこと利点について論議している。うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと彼らは考えた」
 1956年、時の鳩山内閣が、歯舞・色丹を手に入れることで領土問題を解決しようとした。米国国務省は日本に「日ソ交渉に対する米国覚書」を出している。
 それによると、日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っておらず、このような性質のいかなる行為がなされたとしても、それは同条約署名国を拘束しうるものではなく、かかる行為に対してはおそらく同条約によって与えられた一切の権利を留保するものと推測される。
 日本に千島列島に関する領土問題を交渉する能力はないとし、仮に合意すれば米国はサンフランシスコ平和条約による一切の権利を留保する(平和条約はチャラになると恫喝したわけ)。
 それは冷戦時代のことでしょう、といわれるでしょう。そこで、冷戦後の話。
 89年5月から93年7月まで駐日大使を勤めたアマコストは、『友か敵か』(96年、読売新聞社)で「ゴルバチョフ時代からソ連崩壊にかけ米国は対ソ(ロ)支援の方針を固める。その際、日本の資金が重要である。しかし、日ロ間には北方領土問題がある。米国は仲介に出ることを考え、自分(アマコスト)が外務省の何人かに国際司法裁判所への提訴を助言した。」と述べる。
 アマコストだけではない。ワインバーガー元国防長官も自著『ワインバーガーの世界情勢の読み方』(ぎょうせい、1992年)の中で「ここ数ヶ月米国が率先して北方領土問題の早期解決を口にしているため、日本政府も大喜びしているが、勿論ブッシュ(父)政権としては、この問題が結果的にどうなるかは、それほど大きな問題ではない。要するにお金のない米国に代わって日本が率先してサイフの紐をゆるめてくれればよい」と述べている。
 プーチン政権下で力のロシヤが復活した(原油価格の上昇が大きい)。もう米国に追随するロシヤではない。当然、北方領土問題を解決させたいという考え方は、国務省から消滅した。
 北方領土問題の歴史を見れば、日本は見事に米国の構想の下に踊らされている。
基地問題を米国側から見てみます。
97年から01年、註日米大使特別補佐官として日米安全保障問題を担当したケント・カルダーは『米軍再編の政治学』(日経08年刊)で次の記述をしている。
1. 米国の基地プレゼンスは5つに大別される。そのうち最も重要な役割を担う戦略的価値を保持している主要作戦基地では、ドイツの空軍基地と日本の嘉手納空軍基地が典型である。(これを一旦失い)再建設するとなると、法外な費用がかかる。
2. 海外の米軍基地の中で将来を考えても深い意味を持つのがドイツと日本の施設である。日本における米軍の施設の価値は米国外では最高である。
3. 日本政府は米軍駐留経費の75%程度を負担してきたが、この率は同盟国中最も高い。ドイツは20数%である。
以上の記述から見ても、沖縄の基地問題は国内問題でなく、北方領土外交問題であると同様、(米国との)外交問題です。普天間問題を5月までに解決するなどということは、外交問題は相手の事情があるのですから、日本だけで決められないのは当然で、前首相は、基地問題外交問題であることを、理解していなかったのでしょうか?

 そもそも、いつから日本の防衛戦略は米国の軍事戦略と一体化されてきたのか?筆者は90年代からだ、と説いています。
 その辺の事情をみてみます。1993年8月に誕生した細川内閣では、米国と距離を置く姿勢を目指した。細川総理は樋口広太郎アサヒビール会長を座長とする防衛問題懇談会を立ち上げる。そこでは、日本を(極東だけでなく)グローバルな舞台で動かしたいとする米国の流れとは逆の方向を探る「日本の安全保障と防衛力のあり方」、通称「樋口レポート」が作成される(ただし実際の発表は94年8月、村山政権下である)。米国は樋口レポートに危険な兆候を感ずる。
樋口レポートは「冷戦が終結し新しい世界が展開しているのに対応し、まず第一に世界的並びに地域的な多角的安全保障体制を促進する。第二に日米安保を充実する」と提言。
この提言は一見、問題がない。しかし、92年以降に構築されてきた米国の新戦略と矛盾する。米国の(冷戦終結後の)新戦略は、
1. 唯一の超大国としての米国の地位を、充分な軍事力で、永久化させる。
2. この目的達成のため、集団的国際主義を排除する。危機において米国が単独で行動できるようにする。
3. 日本にはこの体制に協力させる。
つまり米国にとっては、日本が勝手に地域的な安全保障体制を構築してもらってはいけないのだ。
樋口レポートに関与した人々は、米国の新しい流れを十分知らず、この流れに真っ向から挑戦する動きに出た。
 米国は、樋口レポートに危機感をもち、真剣に対日工作を検討する。経過は(元防衛庁事務次官)秋山昌広氏の回顧録『日米の戦略対話が始まった』に詳しいが、その結実が「日米同盟:未来のための変革と再編」である。
 この本には、日米安保の裏話が満載です。元イラン大使・防衛大学教授の著書であるから、信憑性は高いとみてよい、と思います。
 以上『日米同盟の正体』の内容紹介です。