通貨で読み解く世界経済

03年から04年にかけて、日本政府は約35兆円にも及ぶ(政府の年間税収入の7割〜8割)空前の為替介入、円売りドル買いを行った。これをどう評価するか。
 『通貨で読み解く世界経済』(小林・中林著、中公新書、10年7月刊)によると、
【あえて日本で日不胎化介入があったと言うとするならば、2003年から2004年にかけての円売り・ドル買い介入が挙げられる。その時の介入は、量的緩和の目標とほぼ同水準(約35兆円)で実施されており、日銀が、円高防止のために金融政策を一層緩和することで一肌脱いた、という見方も出来ないではない(図1-7:日銀のマネタリーベースと外国為替介入額、外貨準備高2000〜2010)。】
量的緩和について、日銀自身、デフレの抑制や景気の浮揚といった効果については懐疑的である。その意味では、為替介入と同時にとられた量的緩和政策によって、円高を阻止し景気を浮揚する効果があったとしても、それを非不胎化介入の成果として積極的にPRする立場にないだろう。】
【一方、為替金融政策を一体として捉える傾向があるIMFでは、デフレ化でゼロ金利制約によってそれ以上政策金利を引き下げられない状態で、非不胎化介入によって円高をそしすることは、唯一有効な金融緩和策だと評価していた。】
と述べている。
 つまり、介入資金を非不胎化することで、景気対策として一定の効果があったという。
しかし、そうであったとしても、その景気対策の恩恵に与かったのは輸出業界のみだった?
【過去の統計を見ると、(1)1980年代後半は円高にも関らず日経平均が上昇したのに対し、(2)1990年代は円高日経平均は下落する一方、ダウは上昇を続け、米国株の動きとは逆行していた。(3)これが2000年代に入り、日経平均のドルおよびダウとの連動性が強まり、特に2005年以降はその傾向が一層顕著となってきている。2005年から2010年2月までの日経平均をダウの前日終値と、円・ドルレートで回帰分析すると、決定係数は0.9137、絶対値で2以上あれば有意とされるt値はそれぞれ50.23と37.31と、きわめて強い相関が出ている。80年代後半には円高が金融緩和による金利の低下と内需拡大につながり、それが行き過ぎてバブルにつながったわけだが、近年は金利の低下余地はなくバブル期ほどの不動産ブームが起こることもないため、外需への依存度が一層高まっていることがここにも見られる。】
註(1)バブルという激甚な副作用はあったが、内需は旺盛であった。
 (2)日本のバブル崩壊円高不況
 (3)為替は、不況による物価低迷によって実質円高に動くべきだったが、介入で円安基調。米国の好況で輸出企業のみが操業度を上げる恩恵に与かった。
 【80年代後半と異なり、日本の輸出のGDPに占める比率は、2000年代に入って、為替水準と関係なく、上昇を続けている。2008年から2009年にかけては、金融危機の影響で世界的に貿易が縮小したため、日本の輸出も減少したが、基調的には輸出は増加傾向にある。(円高といっても物価水準を考慮した実質レートではまだ130円前後の円安水準に相当する)
 内需が弱いから輸出に依存し、外貨を稼ぐとそれが円高圧力となり、国際競争力を強化しようと海外に生産を移管するとさらに内需が弱くなる。こうした悪循環はどこかで断たねばならない。この10数年を振り返ってみると、日本は頑張れば頑張るほど自分を追い詰めていったようにも感じられる。】
 不胎化によって生じた流動性は、円キャリートレードを生むだけだった。
 【ドル換算での日本の一人当たりGDPが80年代に急上昇したのはプラザ合意による円高の影響も大きいが、90年代もまだ主要国並みの成長は続けていた。日本が大きく失速したのは2000年代に入ってからのことである。・・・「失われた10年」は90年代のことを指すと一般的には解されているが、90年代の政策対応は間違っていて、2000年代の政策対応は正しかったという評価も、今後の検証いかんで変わってくるかもしれない。】

また少子高齢化社会の影響についてはこう述べる。
 【日本の内需の弱さの根源がどこにあるのかは議論があるが、少子高齢化が結う碌な切り口であることは異論がないであろう。少子高齢化社会における経済運営については先行モデルがないので、実証的な分析はできないが・・
 日本の人口減少が総需要以上に総供給を減らすなら、日本はインフレ体質に変わり、それを反映して名目レートは円安方向に動くと予想される。一方、総供給以上に総需要が減るなら、デフレ体質は継続し、名目レートは円高方向に動くであろう。】