脳は何故「心」を作ったのか

 先日の直方への旅、新幹線の車中で『脳は何故「心」を作ったのか』(前野隆司著、ちくま文庫)という本を読み終えました。筆者はロボット工学の専門家で、『ロボットに「心」をもたせることは可能か?』を追求した本です。

以下は、本の内容紹介と言うより、この本から触発された私の推論です。

 最近、神経学者は、脳のどこで何が行なわれているかを必死になって調べている。その結果、「知」「情」「意」が脳のどこで処理されているかは大雑把にいえばわかってきた。「知」は大脳の表面(大脳新皮質)の横から後ろにかけて、「情」は大脳の真ん中の芯あたり、「意」は大脳の表面の前(ひたい)の方だ。

 カリフォルニヤ大学サンフランシスコ校の神経生理学教室のリベット教授は、80年代の初めに次ぎのような実験を行なった。

 人が手や体を動かせるのは、筋肉があるからだ。筋肉よ、動け、という無意識の指令(電気信号)は、人の大脳の随意運動野という部分で発せられる。そこで、リベットは、頭蓋骨を切開したある被験者の随意運動野に電極をとりつけ、人差し指を曲げる運動に対する運動準備電位を計測した。

 時計回りに光の点が回転する時計のような点滅型モニターを作って「指を動かしたい」と思った時指を動かしてもらった。そして「指を動かしたい」と思った時に光点の位置はどこのあったか?をたずねた。つまり、「意識」が「動かそう」と「意図」する指令と、無意識に指の筋肉を動かそうとする準備指令のタイミングを比べた。どちらが早いか?

 人が指を「動かそう」と意識するのが最初で、その指令が随意運動野に伝わるから、「無意識」のスイッチが入り、運動準備の電位が生じ、最後に指が動くと思うのが(私も含めて)凡人の常識だろう。

 ところが結果は衝撃的だった。なんと、「無意識かの運動準備電位が生じた時刻は、「意識」が「意図」した時刻よりも350ミリ秒(0.35秒)早く、実際に指が動いたのは「意図した時刻の200ミリ秒(0.2秒)後だった。

 何度測りなおしても、運動準備電位が発生した時刻は、人が「意識」的に運動を「意図」した時よりも数百ミリ秒ほど早かった。

 心が「動かそう!」と思うのが総ての始まりなのでなく、それよりも前に、無意識下の脳で、指を動かすための準備が始められている。

 この結果に世界中の学者が驚いた。

 科学は再現できなければならない。一部の科学者は同じ実験を追試してみた。すると、誰がやっても、やはり同じ結果が得られた。しかし、「意図」の「意識」に先立つ脳内活動があるとは、なんとも奇妙だ。多くの科学者が反論を試みたが、リベットの実験結果は間違っている、と科学的に説明できた科学者は1人もいなかった。(「意図」したと「意識」するのは、運動準備電位を上げる脳内のニューロンの動きを受け取って自分が初めに「意識」したと錯覚しているのだ。)

これ納得できますか。例えば、飲み屋に行くのは、脳が「飲み屋に行きたい」と思って、それから脚が飲み屋の方角に動く、と通常考えています。ところが、この実験結果の意味するところは、脳が「飲み屋に行きたい」と考える前に、脚が飲み屋に向かっていて、「あぁオレは飲み屋に行きたいのだ」と脳が確認するのだが、それを最初に脳が「飲み屋に行きたい」と考えたと錯覚している、というのです。

思い当る事象はあります。

 神経科学の専門家によると、『前頭前野の支配を離れて運動機能だけが発現することはめずらしくない。スポーツ選手はときどき「無意識に体が反応していた」などという』

 プロ野球の選手が外野の壁に飛び上がってホームラン性の打球をキャッチすることはどうして可能か。意識してから動いていては間に合わないだろう。

 打球の音を聞くとき、脚が勝手に打球方向に走っている。外野の塀際で、手が勝手に塀を掴んでいると考えないと、こうしたプレイは説明できない。

 選手の脳と手足の筋肉の動作原理が一般人と違うとは考えにくいから、一般人の日常行動も、筋肉が先に動いて、後から脳が理由付けしているのかも知れない。

『意識がなくても運動が発現することは理解しやすい。意識が心身のすべてを管理しているというのは間違いである。むしろ意識が管理しているのはごく一部なのだ。』と、筆者は述べています。

 何故、脳は後から理由付けするのか、記憶の為ではないでしょうか。記憶というものは、事柄を無関係に記憶するのは難しい。

記憶には、「意味記憶」と「エピソード記憶」がある。「これは食べ物だ」というのは、「意味記憶」。「夕食はもう食べた」や「昨日の獲物の残りはどこへ隠した」というのが「エピソード記憶」。「エピソード記憶」は、関係ある事柄として関連付けると、記憶が便利です。

 「飲み屋に行きたい」と思って「飲み屋に行く」と記憶したほうが記憶しやすい(エピソード記憶)。その時、「飲み屋に行きたい」と思ったのが、「心」。かくて、「心」が生まれた。

人間以外の動物に「心」はあるか?筆者は、エピソード記憶を行なう動物には「心」があると言っています。この意味で、鳥類や哺乳類は「心」を持つと。

 以上、『脳は何故「心」を作ったのか』という書名の意味ですが、ロボット工学の筆者は、「心」のあるロボットをどうやったら設計できるか?を追求しているそうです。