ヒトラーとケインズ

ヒトラーケインズ』(武田知弘著、10年6月刊祥伝社新書)という面白いタイトルの本を読みました。
「不況期には、政府が財政出動して有効需要を創出し、失業を減らす」というケインズ理論は、今でも経済学説の重要な一角を占めている。
ヒトラーは、このケインズ理論の優等生であったと著者は述べる。
ヒトラーが政権を取った1933年というのは、ドイツは600万人以上が失業する(失業率34%)という、経済破綻状態に陥っていた。ヒトラーは政権を取って3ヵ月後、1933年5月「アウトバーン計画」を発表した。ドイツ全土を網羅する全長1万7千?の高速道路「アウトバーン」を、これから6年間で建設するというものである。
アウトバーンをはじめ、住宅建設、都市再開発などの積極的な公共投資を行い、ドイツの失業率は一気に低下した。政権についてわずか2〜3年でドイツ社会を復興させた。
ヒトラーというと、軍備を拡張することで失業を減らしたと思われることが多いが、それは正確ではない。ナチス政権の前半期に、国民のために支出(軍事費以外の支出)した費用は、ナチス政権以前より著しく大きい。またGNPに占める軍事費の割合も、1942年まではイギリスよりも低かった。
ヒトラーケインズの政策思想で共通している部分の最たるものは、経済の中でもっとも悪いものは「失業」であると捉えていたことである。
金融危機、不況、インフレ、デフレが生じたとしても、失業者が出ず、食うのに困る人が出ないならば、ほとんど問題にならない。つまり、金融危機、不況自体が問題ではなく、失業が問題なのである。
その点を、現在の経済学者、経済政策者は履き違えている感がしてならない。
日本の現状をみてもそうだ。景気浮上のためと称して、巨額の財政支出を行っても、それはほとんど大企業の収益に吸収されてしまう。大企業が経営破たんしそうになると巨額の税金を使って救済する。
もし、失業者を減らすことを最優先に経済政策を行えば、もっと少ない税金で、社会を安定させることができるはずである。
ケインズの失業対策理論には「乗数効果」がある。政府が投資して雇用を増やせば、雇用された労働者は、そこで得た収入を使う。労働者がお金を使えば、それがまた誰かの収入になり、その収入が使われ誰かの収入になる。かくて、需要が乗数的に喚起され景気が上向くという理論である。この場合、お金を得た人の使う率(消費係数)が高いほど効果が高くなる。消費係数が高いのは所得の低い人だから、低所得者に多くお金がわたるようにするほど、乗数効果が高くなる。ナチス高所得者増税し、企業の増税をして公共事業の財源とした。
民主党の政策とヒトラーの政策(どちらも子供手当てを実施)の最大の違いは「民主党は大企業や金持ちに増税をしていない」ということである。

ヒトラーの経済政策と、ケインズ理論の共通項として、「公共事業」の次にあげられるのは、「金本位制」からの離脱である。
ヒトラー政権直前のドイツ経済は、金の流出が続き、金融危機に陥っていた。それを見たヒトラーは、金本位制を捨て管理通貨制に移行したのである。
 これには世界が仰天した。
他のヨーロッパ諸国は、世界大恐慌以降、金兌換の停止を行っていた。しかし、それはあくまで一時的なものであり、金融の混乱が回復すれば金本位制に復帰するつもりだったのだ。
ヒトラーは通貨に関して、次のようなことを側近に語っている。
「国民にカネを与えるのは、単に紙幣を刷ればいい問題である。大切なのは、作られた紙幣に見合うだけの物資を労働者が生産しているかどうかということである」
そもそも金本位制は緻密な経済理論に基づき、計画的に設計されたものではない。イギリスが金本位制を採用した(1816年)ために、なし崩し的に各国が採用したに過ぎないのだ。
金本位制が当初は国際経済の中でうまく機能していたのは、それが「イギリスの黄金時代」にかさなっていたからである。当時はイギリスが圧倒的に世界の金を所有していた。
イギリスは・・・世界中から物品を輸入する。そのため、イギリスの金は世界中にばら撒かれる。その一方で、イギリスは、世界の工場として工業製品を世界中に売りまくる。その代金として金が入ってくる。世界一の経済大国が、ダイナミックに輸出と輸入をする。このような循環があって、初めて国際的な金本位制は機能していた。

 1940年、ナチスは、「欧州新経済秩序」という経済計画を発表した。ドイツ経済相シャハトの後任のフンクが計画したもの。「欧州新経済秩序」とは、ヨーロッパの通過を統一して金本位制から脱し、ヨーロッパ域内のヒト、モノ、カネの移動を自由にする。つまりヨーロッパを一つの経済圏にするという計画である。
当時、ドイツはすでにフランス、オランダ、ベルギーなどを降服させており、西ヨーロッパの大半をその勢力圏に収めていた。その勢力圏をそのまま一つの経済圏にしてしまおうというのが、この「欧州新経済秩序」という計画だった。
このことは連合国側、特に英米にとっては衝撃的な内容だった。この計画が成功すれば、英米ともに、完全に世界経済の中心から外されることになる。その主な内容は・・
1. アウトバーンをヨーロッパ中に拡大する。
2. 金本位制に頼らない新しい金融制度。
3. ベルリンに世界銀行を作る。
4. 英米にかかわらないでやっていける経済システムにする。
 2の新しい金融制度の例を見よう。
ナチス中南米や東欧諸国などと結んだ為替清算協定というのは、次のような仕組みで貿易の決済が行われるものだった。
 協定を締結した両当事国は中央銀行に相手国中央銀行名義の自国通貨建て清算勘定を開設し、輸入業者は相手国から輸入したとき、その代金はこの清算勘定に支払う。輸出業者は、この清算勘定から残高の範囲内で、自国通貨の支払いを受ける。双方の国がこの操作を行い、輸入と輸出の残高はそのまま残される。残された残高は、翌年の貿易の清算に当てられる。また双方の国は、残高が突出しないよう調整しあう。だいたいの場合、ドイツの輸入超過になっていることが多かったので、差額は特別マルク(ドイツとの支払いにのみ使える)で支払われた。
 勿論、この制度はドイツが世界大戦で敗れたため、世界的に採用されることはなかった。イラク戦争フセインは処刑されたが、米国が開戦に踏み切った背景には、フセインが石油の決済をドルでなくユーロで行おうとしたことがあると私は考える。世界の金融システムは戦争に訴えても争われる問題なのだ。
面白い挿話がある。ケインズは1940年11月、情報省からある要請を受けた。ナチスの「欧州新経済秩序」に対して、経済学者の視点から批判してほしい、というものだった。イギリス情報省は、「自由貿易金本位制のほうが優れていることを示し、「欧州新経済秩序」を否定してくれ」とケインズに頼んだのだ。
「明らかに私は、戦前の金本位制の美点や長所を説くにふさわしい人間ではありません。私の意見では、ドイツの放送から引用した部分のおよそ4分の3は、もしその中のドイツとか枢軸という言葉を、場合に応じてイギリスという言葉に置き換えるならば、またく優れたものになるでしょう。フンク案を額面どおりに受け取るならば、それは優れたもので、まさにわれわれ自身がその実現に努力すべきものであります」ケインズの返信です。
1944年にアメリカのブレトン・ウッズで開催されたブレトン・ウッズ会議に、ケインズはイギリス代表として参加することになる。
ケインズは、この会議のため、新しい国際金融システム案を用意していた。ケインズの国際金融システム案は、実はナチスの「欧州新経済秩序」と似た点がかなり多いのだ。その骨子は
1.各国の決済は中央銀行が一括して行う。各国の貿易業者同士、民間銀行同士が独自に決済しない。
2.金で決済を行わず、バンコールという国際決済のための通貨を使う。
3各国は輸出と輸入の均衡を図る義務がある。
4.国際間の資本の移動は規制する。
 残念ながらケインズ案は破れ、ブレトン・ウッズ協定では、ドルを今後の世界経済の基軸通貨とすることが定められた。

ヒトラーケインズに学んだのであろうか。
時系列で言うと、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』は1936年に発表された。ナチスの公共事業政策は1933年である。この点について、筆者は、ケインズは1924年にすでに、失業救済のために大規模な公共事業を行うべき、という論文を発表しており、ヒトラーの帷幕には、シャハト(ドイツ帝国銀行総裁、経済相)という経済担当の知恵者がいた。だから彼らは、ケインズの理論に学ぶことができた筈、と説明する。
 しかし、私は逆ではないか、と思う。ケインズヒトラーの政策およびドイツの経済を見て、彼の理論を体系化したのではないかと。
ケインズは、人類史上5本の指に入る経済学者と思うのですが、マルクスであれスミスであれ、著名な経済学者の理論というものは、彼らの生きた時代のある国の経済社会を分析することで、完成出来た。ケインズとて、例外でない。現実の社会を分析することで、ケインズ理論は生まれた。その現実の社会とは、ナチスドイツであった?と考えます。