言葉と脳と心

『言葉と脳と心』(講談社新書)という1月の新刊を図書館の書棚に見つけてすぐ借りてきました。「脳、心、言葉」というと、私の最大の関心事ですので、読まずにいられません。
 著者は、山鳥重(あつし)、神経心理学失語症、記憶障害などが専門の医師です。
 一言でいうと、失語症という言葉に障害の発生した患者の症例から、脳と心、言葉の関係を推論するという本です。
 私が一番面白いと思ったのは、「抽象的態度の喪失」という障害が、大脳損傷患者の一部に見られるという話。分かりやすく説明すると、
 たとえば、病院で、「これはなんですか?」と机を指すと、「机」が答えられない。自分が家や職場で使っていた机と、形や色が違いますから、これを「机」と呼んでいいかが分からないのです。
 いろいろな色の糸の中から赤い糸を選んで、「この色はなんですか?」と聞いても、「赤」が答えられず、「桜の赤みたい」とか「オレンジの赤みたい」と答えて、ある範囲の色合いをまとめて「赤」と呼んでいいという判断ができない。
 つまり、事物の「抽象化」が出来ないのですが、奇妙なことに、この障害は、患者によって、あるカテゴリーにだけ発生する。人工物に関してだけ、そうした障害が出るとか、自分の近くにあるものだけに障害が出るなど、ある範疇のものにだけ障害が出る(どの範疇かは患者により異なる)のです。
 これは大脳部位のどの部分が損傷した場合に発生するか?という話から始まります。
 筆者によると、「失語症は言葉の障害です。言葉に障害が出るということは、心の動きに障害が起こっていることを意味します」。
 ドイツの発生学者、エルンスト・ヘッケル(1834〜1919)は「個体発生は系統発生を繰り返す」。解剖学者三木成夫(しげお)によれば、(人の)受精卵の母体への着床後、30日目からわずか1週間で、1億年を費やしたヒトの系統発生の歴史が繰り返されるという。具体的には、32日目の胎児には、デボン紀に生息した古代魚類「サメ」の相貌が認められ、36日目の胎児には、古代は虫類「ハッテリヤ」の相貌が認められ、38日目の胎児には、古代哺乳類「毛もの」の相貌が認められ、40日目になって初めて、ヒトの相貌に近づいてくる。そして70日目になって、初めて、人間の赤ん坊の面影が読み取れるようになる。・・・心という主観現象も、同じように、この歴史をなぞって出現したと考えたくなる(ダーヴィンはイヌの怒りとヒトの怒りには共通性があり、イヌの恐怖とヒトの恐怖にも共通性があると述べている)。
ではいったい、心はどのように発生進化してきたのでしょう。心の大部分を占めるのは感情です。まず初めに感情が発生した。脳に入ってきた視覚情報は心には視覚的感情として感じられ、その中の大事な部分がカタチとして自覚される。これが視覚心像。同様にして聴覚性情報は聴覚心像を生む。筆者によれば、意識という現象は「自分の心の発生過程を瞬時になぞる現象だという。(「抽象化」というのは、発生過程の最後なのでしょうね。)
 こうした心の中のイメージ(心像)を整理してくれるのもの、それが言葉です。つまり心は、感情から心像を作り出し、さらに、心像の特殊系として言語心像を作り出した
失語症という病気の患者から、脳の構造、脳が作り出す心の働きと言葉の関係に迫る論を展開した本でした。