日本国の原則

『戦時中の統制経済が戦後にも生き残り、高度成長を支えたが、日本のキャッチアップ過程が終わるとともに、むしろ日本経済の桎梏になっていった』という有名な論がある。  この論に対して面白い反論を見つけました。『1940年体制は確かに戦後まで生き残ったが、高度成長に貢献したとはいえない』というのです。
 原田泰さんのこの反論を、詳しく知りたいと、図書館で『日本国の原則』(日経新聞07年4月刊)を探してきました。
日本の経済史を、著者はこう見ています。
『明治以来の日本の発展は人々の自由を拡大することでなされた。決して、官僚的統制によってなされたものではなかった。しかし、やがて自由な経済システムに対する攻撃が始まる。攻撃は1930年代に本格化する。その重要な契機は、27年の金融恐慌と30年の昭和恐慌である。恐慌は自由な資本主義の失敗と思われ、政府の経済への介入を強化する口実となった。介入が本格化するのは30年代後半日中戦争が本格化するにしたがってである。30年代後半からの経済政策の目的は、軍事のために資源を投入することだった。』
 余談になるが、司馬遼太郎さんは「昭和前期の日本は、歴史においていわば別国の観がある。「統帥権」を口実に、日本軍部が国民を占領していたとも言える」と語っていたが、何故、昭和前期の日本がその前後の日本と異なる存在であったかについて、説明をされていない。
 面白いことにこの本の著者が、それに対する説明を経済学の立場から試みていました。
 『日本が誤った道に進む大きなきっかけは、昭和恐慌(1930)と満州事変(1931)である。昭和恐慌は市場における成功という概念を打ち砕いた。』
 人が財を獲得するのは、自由な市場で才能を発揮するか、暴力により他人の財を略取するかである。昭和恐慌が、国民に前者よりも軍国主義による後者を選ばせたというのだ。
『日本の大恐慌世界大恐慌の中ではきわめて軽微に終わった。高橋是清蔵相のデフレ脱却策が功を奏したからである。しかし、人々は、経済回復は満州事変によるものと誤解した。人口3000万人、日本の3倍の面積を持つ満州を1個師団(1万人程度)で征服し、傀儡国家を建設したのだから、満州事変と満州国の建国は奇跡的に成功した戦争といえるだろう。
 しかし、戦場の成功は続かなかった。戦線を拡大するにつれ損失は増大し、利得は減少していった。日本の侵略によって中国がナショナリズムに目覚め、頑強に抵抗するようになっていったからである。
 満州事変に熱狂していた民衆には厭戦気分が高まっていく。軍は自由を圧殺し、人々を戦争に駆り立てて行く。』

 筆者の主張は『強力な、明確な目的意識を持った政府の、矛盾のない考え抜かれた経済政策の下に、官民一体となった努力の故に、日本は経済発展に成功したという見方に組みしない。』
『日本は自由の国であり、自由であるがゆえに成功した。日本は官主導の国ではなかったし、仮にそういう面があったにしても、それゆえに成功したのではなかった。第二次大戦前の軍という官の主導は、政治や国際関係において日本を誤らせ日本を貧しくしたのみならず、軍需産業の育成においても失敗した。』
戦前の日本経済をデータで見てみよう。
 『戦前期の一人当り実質GDPと実質消費の推移を見ると、順調に伸びていた。1915年から20年にかけて急激な伸びとその後の成長率の低下は見られるが、成長はしている。日本は戦争をせず、戦争をしていた諸国にあらゆる物資を売って大もうけしていた。戦争が終われば大もうけできないのは当然である。しかも、戦争が終わった時、戦争前に戻るのではなく、高いレベルから低成長になっただけである。
 30年代の大恐慌ですら、ほとんどGDPの低下を経験することなく切り抜けている。世界中の人々が、GDPの2〜3割の低下、2〜3割に達する失業率の上昇という災厄に苦しんでいたにもかかわらずである。
 30年代の後半まで、GDPと消費はほぼ同じように動いていた。生産は、究極的には消費のためになされるものであるから、生産が増大すれば、必ず消費が増える。ところが30年代の後半には、消費が伸びずGDPだけが伸びている。生産していたものは、(国民生活で消費しない)武器だった。』
『軍部は、日本は人口過剰で狭い国土では人々を養うことができない・・中国大陸に進出しなければならないと言っていたのだが、30年代の後半には、すでに軍需生産を増やすためには消費財清算を削減しなければならない状況に陥っていた。この状況を人口過剰とは言わない。』

近年のグローバル経済についても、「自由」が経済を発展させるという立場から、著者は二つ重要な指摘をしている。
 まずは、“中国経済の発展は日本の脅威ではない”、と述べる。
 『日本の対中輸出は2006年で10.8兆円(香港を含めれば15.0兆円)、輸入は13.8兆円(香港を含めれば13.9兆円)となる。日本の対中貿易収支は赤字だが、香港を含めれば黒字になる。 しかし、日本が黒字であることが日本の得で、赤字であることが損というわけではない。
 日本と中国との交易条件(日本の対中輸出価格/対中輸入価格)を見ると、日本の対中国交易条件は90年代以降、ほぼ一貫して上昇している。』
 でも、中国の労働者に対抗する国内労働者はどうか、格差が広がるのでは?
そこで、『生活水準を決めるのは輸出産業ではなく国内産業だ』との指摘です。
 『日本のGDPに占める輸出の比率は2006年で16%に過ぎない。日本の消費に占める財の比率は43%にすぎず、残りはサービスである。日本の生活水準は、輸出産業の生産性にではなく、国内産業の生産性により多く依存する。
 先進国では輸出の世界シェアの変化でみた国際競争力の変化が生活レベルを変化させる効果はほとんどないが、シンガポール、韓国、タイ、マレーシヤのような、貿易依存度の高い成長途上の国では効果がある。』(だから、先進国では、国内産業の生産性向上を図らないと国民の生活は向上しない。バブル崩壊後の公共投資は、国内産業の生産性向上に貢献することを配慮していたか。)
 成長には投資が必要だが、どんな投資でも成長に有効とは言えない。
 とは言え、これまで「自由」が日本の経済を発展させ、豊かな社会を作ったことは確かである。
 『格差社会という言葉が喧伝されるが、日本はまだまだ普通の人が幸福になれる社会だ。作家の桐野夏生氏は、「世のおばさんたちって、安定した生活を楽しんでいる。もちろん、そうじゃない人もたくさんいるけど」と書いている。日本はおばさんが幸福な社会だと思う。おばさんとは普通の人ということだ。振り込め詐欺とは、逆サイドから見れば普通の人がある程度の財産をつくり、それを子供や孫のために使いたいと思っている社会だからこそ成立する犯罪だ。』
 要約すると『日本国の原則』の著者の主張は、『官僚統制を排し、自由な市場が経済を主導することが豊かな社会を築く』。戦前にあっては、満州事変の成功が、統制経済の成功という幻想を生み、軍という官の統制は、日本を奈落の底に落とした。
 近年の“失われた20年”は、輸出関連以外の産業において、創意を生かす自由な市場の整備が行われていないことにある』

cf http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20110728