『原子力神話からの開放』

高木仁三郎著、講談社α文庫10年5月刊)
著者の高木さんは、ご存知の方も多いと思いますが、核化学の専門家(1938〜2000)で、原子力資料情報室を設立、原発とりわけプルトニューム利用の危険性について、警告を発し続けた方です。 この本は2000年8月に刊行された本の文庫版ですから亡くなる直前の著作ということになります。
 著者の名前は知っていましたが、著作を読んだことはなかったのです。今年の原発事故で、彼が何を警告していたかを知りたくなって書店で購入しました。
 一読、非常に分かり易い本だと感じました。イデオロギーにこだわらず、中学生にも分かる文章です。『原子力問題について本書のような本を書いてみたい・・2000年という年の初めになって思うようになりました。・・・二つの動機があります。1999年9月30日に起こった東海村のJCOウラン加工工場における臨界事故の衝撃・・・さらにその事故から2ヶ月あまり後、作業員である大内久さんの死・・・』。
『大内さんの死から数日にして、原子力安全委員会は、その事故調査委員会の報告書なるものを公表しました。この報告書を読んだときの私の印象には愕然とするものがありました。こんな報告書によってこの事故が、いわば締めくくられ、総括されてはたまらない・・巻末についた「事故調査委員会委員長所感」のなかで、委員長の吉川弘之氏は次のように言う。この事故の「直接の原因はすべて作業者の行為にあり、攻められるべきは作業者の逸脱行為である」。』
 こう、書き始めている本の内容は、まるでフクシマ原発事故について今書いた本のように思われます。勿論著者は10年以上前に世を去られたわけですから、フクシマについて知っているわけはありません。
 (私が原発について思うことの第一は、原発の技術は欠陥技術ではないかということ。そう思う理由は、使用済み燃料の処理方法が確立されていないこと。)
 日本政府のこれまでの方針は、使用済み燃料を再処理してプルトニュームを取り出し、残りの放射性廃棄物ガラスと一緒に固め、一定期間放射能を冷却するために貯蔵をして、最終的には地層処分する(地下に埋めるにも、実は地下水への影響を考えなくてはならないから、場所を見つけるのは大変です)。
 原発は私たちが生命の安定性、安全性の原理としている核の安定を壊すことによって成り立つ技術ですから、核の不安定性を生み出し、結果として膨大な量の有害な放射性物質を作り出すことになる。その放射性物質の多くは、かなり寿命が長くて、なかには何百年も残るものがあります。

 さらに再処理して取り出したプルトニュームが問題。現在(2000年)約30トンもの余剰プルトニュームを日本政府は抱えています。原発から出てくるプルトニュームでも7〜8kgもあれば核兵器を作ることができると考えられますから、30トンのプルトニュームはたいへんな余剰、4000発の原爆を作ることができる。

 (フクシマの事故では、4号機は停止中でしたが、使用済み核燃料がプールに保管してあった。3月15日、水素爆発が起こりました。
 浜岡は運転停止はしたものの、プールの使用済み燃料は冷やし続けなければなりません。)

 温暖化防止のため、原発を増やすというのが、政府の方針でした。しかし、1gの二酸化炭素を出すことと、1ベクレルの放射能を出すこととどちらが問題なのか。原発が事故を起こす確率は1000年に一度だという人もいますが、世界中には400基を越す原発がある。1000年に一度でも、世界中では2.5年に1度になる。「原子力はクリーン」とは言えない。

 原子力に関する技術は進歩して、非常に大きな原発も造れるし、そこから大きな電力を得ることもできるようになりましたが、そこで生まれた放射性物質や廃棄物の放射能は消すことができません。
 もともと、原子力核兵器のために開発された技術です。平和利用というのが困難な技術だと思います。
人間の体の細胞は、細胞を構成する原子の安定があって生きられる。
原子の安定を破壊する放射線と共存はできないのですから。