デフレは何故怖いのか

『デフレは何故怖いのか』(原田泰著、04年10月文春新書)を読みました。
 著者は、第1章から第4章で、デフレ現象を貨幣数量理論で説明しようとする。
デフレとは、継続的に物価の下落する減少である。物価と貨幣量の関係を見ると、
物価=貨幣の流通速度×貨幣量/財・サービスの供給量(実質GDP)
 貨幣量、マネーサプライの源泉はハイパワード・マネー(マネタリーベース)、すなわち現金通貨と民間銀行の日本銀行への預け金の合計で、民間銀行の働きにより乗数的効果(信用乗数)を持ち、かつ中央銀行ハイパワード・マネーの量を調整することでマネーサプライをコントロールすることが可能である。(「マネーサプライ=信用乗数×ハイパワード・マネー」。変化率の関係であらわせば「マネーサプライの変化率=信用乗数の変化率+ハイパワード・マネーの変化率」である。
 いくらハイオアワード・マネーを増やしても、信用乗数が低下して、マネーが増えないということはあるだろうか。それはない。信用乗数が低下するのは、デフレ期待が根強いからである。しかし、ハイパワード・マネーを無限に増大させていけば(*)、デフレ期待は払拭される。流通速度についても、デフレ期待があるときに低下する。そして、ハイパワード・マネーは、中央銀行の操作(買いオペ・売りオペ)で操作可能なのだ。
 結論として、デフレは金融政策で解決できる。
(しかし、デフレを解消する金融政策(*)は、別の副作用を経済にもたらさないか?)

第5章 「19世紀には何故でふれが続いたのか」で通貨量が金の量と結び付けられていて、物価を下落させたが、金の生産量が増えるにつれデフレは解消した。
第6章 「アメリカの大恐慌とデフレ」では、1930年代の大恐慌を、金融当局が金本位制固執し、マネーサプライを増やさなかったことが原因と説明する。マネーサプライの減少が大恐慌を引き起こしたという理解はアメリカでは共通のものとなっている。プリンストン大学から連邦準備制度理事会の理事になったバーナンキ教授は、『合衆国貨幣史』の著者であるフリードマンとシュワルツに対して「大恐慌についてです。あなた方は正しい。われわれ(FRB)が大恐慌をひきおこしたのであり、大変残念に思っています。・・・われわれは二度と同じ間違いは繰り返しません」と述べている。     
最終章  「なぜ人々はデフレを終わらせようとしないのか」
 デフレを終わらせることは、あるグループの人々にはおおきな危険があるからだ・・・その危険とは、金融緩和によって名目金利が上昇した場合、長期債の価格が下落することである。・・・国債価格が下落する。銀行が多大な国債を抱えている現状では、それによって少なからぬ銀行は損失を被るかもしれない。
 90年代、正しい政策とされてきたことはわけの分からないことばかりである。90年代の停滞はデフレによって引き起こされたものなのだから、デフレ脱却以外の方策を講じてみても、訳が分からないことになるばかりである。訳が分からない正義は不正義である。