世界経済同時危機

「世界経済同時危機」(原田泰著、09年2月、日経新聞)を読みました。
 著者は、「デフレの原因はマネーサプライの減少にある」とかねてから主張している。リーマンショックからの世界同時不況についても、この観点から説明できると、近年の経済データを引用して述べるのがこの本だ。
 第2章「これまでの金融危機の教訓」で、1930年代の大恐慌から、戦後の5大危機(スペイン(1977)、ノルウェイ(87年)、フィンランド(91年)スウェーデン(91年)、日本(92年))までを分析する。
 30年代、アメリカの金融政策はいかなるものであったか。FRBは1928年に入ると、株式市場の加熱と金の流出を抑えるために、政策を引き締め基調に転換した。
 金融引き締めの結果としてマネーサプライ(M2)の減少が物価の下落を引き起こし、物価の下落が実質金利を上昇させ、実質金利の上昇が耐久消費財と投資の需要を減少させて景気後退を招き、景気後退が物価をさらに下落させた。物価下落の中で、賃金はそれほど低下しなかった。実質賃金は下げ止まり、利潤を圧縮した。
 大恐慌は貨幣的ショクによって引き起こされた。マネーサプライの急激な減少が恐慌の原因であると、シカゴ大学フリードマン教授は説いている(1920〜1941まで米国のM2と実質GNPはほとんど並行に動いている)。
 アメリカの大恐慌がマネーの縮小によって起きたのなら、なぜFRBはマネーを拡大しようとしなかった?カリフォルニア大学バークレイ校のバリー・アイケングリーン教授は、各国の金融当局が金本位制固執した大恐慌の本質的な原因であると論じている。
マネーサプライを縮小させた金融引き締め政策は、金本位制への固執であった。金本位制を捨てて金融を緩和することによってアメリカは大恐から脱却できた。大恐慌からの脱却に、とてつもない財政拡大を要した第二次世界大戦は必要なかった。
 実際、金本位制から離脱した時期と鉱工業生産の関係を国別に図示(1929〜1935)してみると、金本位制から早期に離脱した国ほど生産の回復が早くなっており、日本は1931年2月に金本位制から離脱し、生産の回復も早い国であった。
 第7章「なぜ日本への影響が大きいのか」で、サブプライム危機の日本への影響を分析して、二つの興味深い指摘をしている。
 一つは、大企業向けの銀行貸し出しが急増しているのに対し、中小企業向けの貸し出しが急減している。資本市場(の機能不全)で資金調達が困難になった大企業が、銀行からの借り入れに頼るようになった。
 二つに、金融危機に際し、世界各国が金融を大胆に緩和しているが、日本は金融緩和に躊躇している。名目金利が低いので下げられないという意見があるが(日銀は08年12月、0.3%から0.1%には引き下げた)、量的緩和を行えば、金融はいくらでも緩和することが出来る。世界が大胆な金融緩和を行っているときに、日本がそうしなければ円は上昇する。日本と世界のマネタリーベースの動き(00年以降)を見ると、アメリカが大胆にマネタリーベースを拡大し、ユーロ圏やイギリスが着実に拡大している時、日本は伸びていない。
 つまり著者は、金融緩和とは金利の問題でなく、通貨量(マネタリーベース)の問題だという。世界の多くの金融危機のうち、失われた10年になったのは日本だけである。
 つまり、通貨量増大の不徹底が日本のデフレの真因とするのだが、小生が思うのは、通貨量の増大は、たとえば投機行為が氾濫するなど、別の副作用を生むのではないか?しかし、デフレ現象そのものは、著者のいうように、案外簡単に説明できる現象かもしれない。

 最後に、輸出に頼らず内需による経済の拡大を志向するなら、住宅投資のあり方を見直すべきだ。米国と同様に住宅投資が貯蓄と見なせるような住宅投資を、日本もするようにならねばならない、と指摘する。