奇妙な経済学を語る人びと

 人口が減っても、一人当たり生産性が上昇すれば問題はない。少子化問題についてこう述べる。
『自由な市場』論からいうと、「子どもを増やすかどうか」は、あくまで国民各自の判断によるべきだ。その判断に、制度がバイアスをかけるのなら、制度の改善を行う。たとえば、児童扶養履行強制制度。
離婚時の経済保証が弱いので、日本の妻の家庭内での地位が低下する。その結果、未婚女性は結婚をためらい、子どもが生まれないということになる。離婚時の経済的保証を整備するのに一番良いのは、アメリカの児童扶養履行強制制度を日本にも導入することだ。この効果がどれだけ大きいかについては、まだ精査すべき点がある。しかし、この政策の良いことは財政コストがかからないことだ。・・強制履行のコストはかかるが、このコストも含めて男性に払わせれば財政コストはかからない。
アメリカでは、養育費の金額は父親の収入と子どもの数などの基準にしたがって州政府が決定する。この養育費は強制的に勤務先給与から天引きされる。勤務先企業が天引きを拒否すると、勤務先企業自身が養育費支払いの義務を負う。父親が自営業者の場合、アメリ国税庁が父親の租税還付金から養育費分を差し引く。
この制度は男性にとっては不利ではないかという懸念があるかもしれない。しかし、この制度は結婚したい男性にも有利だ。多くの男性が妻を大切にして子どもを作り、幸せな家庭を築きたいと思っていても、それを女性に対して保証する手段がない。児童扶養履行強制制度は、結婚したい男性に有利な制度であり、決して不利ではない。
勿論この制度を導入しても少子化は続くかもしれない。しかし、現在の人口減少トレンドが続いても、2100年の日本の人口は5000万人以上。現在のヨーロッパの大国と同じレベルである。日本人をなんとしても増やしたいと考えるべきかどうかは、100年後の日本人に考えてもらってよさそうだ。
人口減を需要減ととらえる見方がある。たとえば車の販売台数は半分になる。それでどうして生産性を挙げることが出来るのかという。確かに人口は減少している。しかし、一人当たりの所得は増えている。だから、需要を増大することは可能なのである。ただし、このときの一人当たりの需要は昔の需要ではない。このことを二つの国、A国とB国の事例で考えてみよう。A国では、一人当たり所得がまったく増大せずに、人口だけが倍になった。B国では、人口が全く増大せず所得だけが倍増した。A国もB国も一人当たり所得×人口の総所得は同じだが、二つの国で売れているものはかなり違うだろう。A国では、昔と同じ大衆車が2倍売れ、B国では大衆車の売れ行きは低下して高級車が売れるようになっているだろう。
人口が減少しても、需要の変化にうまく対応できれば生産性の上昇は可能である。