奇妙な経済学を語る人びと

地方分権についても、『自分の金』資本主義であるべきと説く。
日本はもっと地方分権すべきだという。しかし、日本の地方分権論はヨーロッパの地方分権論とはかなり異なる。ヨーロッパの地方分権論は、豊かな地域が貧しい地域に補助金を払うのはごめんだというのである。
中央が税を集め地方に分配するというシステムは、日本人にとってはあまりに当然のものとなってしまって、地方自治が財源の独立であり、地方分権とは地方から中央への税の移転をとめることだという当たり前のことが、ほとんどの日本人には理解できなくなってしまった。
1900年には、中央から地方への純移転支出の一般会計に占める比率は、1.6%にすぎなかったが、1930年には5.4%になり、大恐慌による農村の疲弊を救うための補助金制度が確立した後の1940年には10.1%になった。そしてシャープの勧告がなされた1950年には24.2%へと跳ね上がり、20%以上の比率を維持したまま今日に至っている。(日経新聞の「地方分権に関する意識調査」によれば)市長の8割が補助金制度を改革すべきであると考えているが、課税自主権の拡大を望む声は2割にすぎないという。要するに、自ら税金を取るのはいやで、中央政府から財源が来てほしいといっているのだ。
本来、公共投資とは都市のものである。人々が一ヵ所に集中して住むからこそ公共資本が必要になる。ところが、日本では、無理やりに人口を分散する手段として公共投資が利用されている。公共投資が分散されすぎれば、公共投資の効率が低下するのは当然である。
地域ごとにすむ人々の格差を是正するために、すべての地域格差が是正されるまで公共投資を投入しようというのが現在の発想である。この発想は二つのことに固執している。第一の固執は、生活水準の格差を是正するのは公共事業であるという発想である。しかし、人々の生活を支えるのは公共投資ではなくて民間投資である。公共投資が意味があるのは、それが民間投資を呼び込むからであって、公共投資自体に意味があるわけではない。第二の固執は、人々は生活の拠点を変えないという発想である。
90年代以降の日本経済は経済理論で説明できる。
IS-LM曲線を90年代以降の日本経済という現実世界に近づけるためには、IS曲線(財市場が均衡する利子率とGDPの関係)の利子率は実質利子率で、LM曲線(貨幣市場の均衡を達成する利子率と国民所得の曲線)の利子率は名目利子率であることは理解しておかねばならない。低い名目利子率の下で貨幣需要は増大し、名目金利は低くても実質金利が高いがゆえに設備投資、在庫投資、住宅投資、耐久消費財のような実質需要が減少している。
財政政策を拡大することの効果が小さいと私が考える根拠は、92年、93年と2年にわたって15%も公共投資を拡大したにもかかわらず、その効果が小さかったからだ。
公共投資が、一時的に景気を支えるのは確かだろうが、乗数効果というほど大きな効果を持っているとは思えない。・・私は乗数は0.5から1.5の間だろうと思っている。
財政政策をあまり推奨しない第二の理由は、公共投資があまり効率的な用途に使われているとは思えないからだ。
一方、マネーサプライの増大は、80年代の末にはバブルを起こすほどの力があった。90年代の初期にはマネーサプライが縮小するとともに経済は停滞した。95年、96年にもマネーサプライの回復とともに経済は回復した。実証分析の結果は、1%のマネーサプライの増加が、0.5%程度のGDPを増大させることになっている。