大災害の経済学

『大災害の経済学』(林敏彦著、11年9月刊、PHP新書)を読みました。
著者の林さんは、現在同志社大学教授ですが、昨年3月まで放送大学教授。小生の大学卒論の審査で査読をしていただき、大学院では1年間、修士論文の指導を頂きました。
 神戸在住の筆者は、1995年の阪神・淡路大震災の発生後、兵庫県の復興計画策定調査委員会などのメンバーとして震災復興に関わった。また、ひょうご震災記念21世紀研究機構が出版予定の「災害対策全集」の編集作業に携わり、その完成間近というところで今回の巨大地震(3.11)が発生した。3月21日の日経新聞に「復興へ法的制約を見直せ」と題する寄稿を載せている。
 本書は、著者自身が関わった阪神・淡路大震災の震災復興基金などの事例を通して、さらには、アメリカの9.11同時テロやハリケーンカトリーナの政府対応を論じて、巨大災害への政府対応、復興のファイナンスを述べています。
 同書から興味を惹く話題を紹介します。まずは、エピソードから。
 『04年3月31日、私は東京の事務所に下河辺淳阪神・淡路復興委員会委員長)を訪ね、復興委員会委員長としての仕事についていくつかの質問をした。私は、短刀直入に尋ねた。「もしも総理大臣が別の人だったら、復興はもっと迅速に進んだのでしょうか」。下河辺の答えは意外だった。「そうは思いません。村山総理はよくやったと思います」
 下河辺は総理の対応をこう説明してくれた。』
【総理は真っ先に私のところへ来て、「自分は何も分からない。言われた通りにするから、何をしたらいいか、教えてくれ」。私は、考えていたことを総理に話し、総理は熱心にメモをとっていた。】
 (今回の菅総理にこれがほしかった!と、林先生は言いたかった?)
国は私有財産に支援はできないのか?
 阪神・淡路大震災では、住宅を失った被災者から、住宅再建のための公的支援を求める悲痛な声が上がったが、国は私有財産の自己管理責任を盾にかたくなに拒んだ。しかし、米国をはじめ、世界の多くの国々で、被災者支援に現金給付は行われている。
 後に鳥取県西部地震(2000年)からの復興にあたって、当時の片山知事は、人口流出を防ぐという公共目的のために、被害住宅の再建に県費を投ずることを禁止する法律はない、として公的支援を実行した。そもそも、農地が被害を受けたとき、私有地である農地や農道の再整備には公的資金が投じられる。
 つまり、問題は私有財産制にあるのではなく、災害で財産を失った人々に経済支援を行うための根拠法がなかっただけのことなのだ。なければつくればよい。それが立法府の役割である。
 (阪神淡路大震災で、被災者の生活支援のため、設立された復興基金についてこう述べる。)
『復興基金という仕組みを通して流れた事業費総額3600億円の資金は、その75%が国庫から地方交付税として交付され、25%が県と市の自主財源から支弁されたものだった。端的に言って復興基金は、3600億円の公的資金を(基金という)財団法人の事業(被災者の私有財産への支援)資金に転換するマネーロンダリングの仕組みであった。』
被災者生活再建支援法が議員立法でつくられたのは阪神・淡路大震災から3年後、家屋の再建に公的資金が投じられることになったのはさらに9年後だった。今回はさらに大きな現金支援を盛り込んだ法律が必要だ。
 アメリカではどうか?
 日本で、国は被災者に個人補償をすることは出来ない、という「法律以前」の法理がまかり通っていたころ、アメリカでまさに未曾有の緊急事態が発生した。9.11である。
 10日後の9月21日、「航空運輸安全および航空システム安定化法案」が下院を通過、上院も無修正で可決、22日に大統領が署名した(ATS法)。
 このATS法を根拠として「2001年犠牲者補償基金」が創設され、その目的は9.11テロの結果、負傷または死亡したすべての個人に補償金を支払うこととされた。
 補償金は、個人の年収履歴その将来予測(平均的なGDP成長率と同率で上昇と推定)を想定、国債の利率で現在価値に割引して算定された。
 比較的年収の低い消防士などは補償金が小さく、高額の年収を得ていたファンドマネージャーは高額の補償金を受け取ることになった(生命保険などで補償金が得られた人はその分減額されたという)。33ヶ月で1兆円を越える補償金を支払ったそうである。
 (一方)2005年8月25日、バハマの南東海で発生した巨大ハリケーンカトリーナ)がフロリダ州に上陸し、メキシコ湾に抜けた後ルイジアナ州に再上陸した。アメリカ災害史上最大のハリケーン被害をもたらした。被災地は低所得者が多く住む7つの州に及び、ニューオーリンズ市の公共サービスは完全に麻痺し、避難者はテキサス州アストロドームへの移転を促されたが、・・自家用車など移動手段を持たない市民もいて、移転はなかなか進まず、高齢者などの衰弱死が相次いだ。
 ニューオーリンズ市内では、市内に残された市民による食料品店の略奪が続発し、放火、レイプ、救援車両・医薬品輸送車への襲撃も発生した。州兵は、治安維持のため、被災した市民に銃口を向ける場面もあった。
 結果として連邦政府は、カトリーナの犠牲者に対して9.11犠牲者補償基金のような個人補償は行わなかった。今度はアメリカの政治は、犠牲者補償基金の設立を求めなかった。
 (10日ほどで1兆円の補償金支払いを決める実行力!貧乏人の保証には一顧もしない荒っぽさ!アメリカはたいへんな国です。)
復旧と復興
 阪神・淡路大震災の経済復興がどのように進んだかを振り返ると、「復旧・復興」が問題となってくる。被災地の再建は、「まず復旧」、それから「復興」へと二段階で進という認識がある。
 法的に「復旧」という概念は明確に定義されているが、「復興」概念の法的定義は存在しない。「復旧」は予算さえ確保されれば、直ちに実行可能だが、復興を正面から議論すれば異論続出で、政治的実現可能性が見通せなくなる。しかし、家計にしても企業にしても、民間部門が被災後の生活再建や事業再建の原則を「復旧」や「原形復旧」に置くことはありえない。したがって、復旧から復興への二段階論は、政府がインフラ復旧を行なった後に、民間がそれぞれの判断で復興を遂げることを想定していると言えよう。
 しかし、復旧と復興は基本的に異なる概念だ。
2011年6月24日、「東日本大震災復興基本法」が公布されたが、この基本法にも、「復興」の定義は置かれていない。
災害の発生後は、個人も、企業も、自治体も、すべてが新しい現実から再出発しなければならない。だから、被災地には、「復興」しかありえない。・・・公共部門の役割は、その復興の営みをサポートすることであって、道路や漁港を元通りに直せばよいというものではない。
 それぞれの主体(家族・企業・行政など)が立てる復興計画を、地域の共同意思にまとめあげていくためには、相互の調整や対話が欠かせない。そのプロセスを復興計画のガバナンスと呼ぶことにする。元来ガバナンスはガバメントに対抗する概念である。いずれも公的意思の実行を目的とするが、ガバメントが法律に裏打ちされ、強制力や税金などを伴って執行されるフォーマルな仕組みであるのに対して、ガバナンスは強制力を伴わないインフォーマルな参加と共同の仕組みである。
 阪神・淡路大震災からの復興計画の提言が、各種学会、地元の経済団体やNPO、まちづくり協議会などから相次いだと、「21世紀の関西を考える会」の提言を紹介している。
 そのなかには、免税特区の提案があったが、この構想は実現せず、2003年、「先端医療産業特区」に指定された(ポートアイランド)。