金融が乗っ取る世界経済

『金融が乗っ取る世界経済』(ロナルド・ドーア著、中公新書11年10月刊)を読みました。「あとがき」の問題提起が挑戦的です。
【本書で描いた日本経済のアングロサクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。
 詳しく論じる余地はなかったが、3,40年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。2010年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な非難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手をあげたからだ。
 今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
◎ 今後の米中の相対的経済成長率
◎ 政治的課税力――国庫収入の視聴率
国威発揚の意志の強さ――軍事予算拡大の用意
◎ 人的資源(日中ではIQ分布は似たようなものだから、優れたミサイル技術者になりうる頭脳を持つ日本人が一人いれば、中国には10人いる)

西太平洋における覇権の交替はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
アメリカにゴルバチョフはいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済がゆだねられるか。
② その頃になると、徐々に東洋のモデルになるだろう中国の経済は、米国と同様な個人所有権がオールマイテイの組織になるのか。そして、アメリカのような成功した人とそうでない人の格差が大きい社会となるか、それとも儒教的な家父長主義な政策をとってより平等な社会になるのか。
③ 土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。】

ロナルド・ドーアさんは、イギリス人の日本研究者。農村、教育から経済にわたるまで多方面にわたって記念碑的な著作を発表。
1925年、ポーツマスに生れる。戦時中、日本語を学び、1950年、江戸教育の研究のため東京大学に留学。現在、ロンドン大学LSEフェロー、という。

 筆者の言う「日本経済のアングロサクソン化」とは、企業経営の株主主権主義への傾斜です。
 ドーアさんは、この株主主権主義に反対し、「ステークホルダー経営」を説く。
【株式会社は、理念的には企業価値を可能な限り最大化してそれを株主に分配するための営利組織であるが、同時にそのような株式会社も、単独で営利追及活動ができるわけではなく、一個の社会的組織であり、対内的には従業員を抱え、対外的には取引先、消費者等との経済的な活動を通じて利益を獲得している存在であることは明らかであるから、従業員、取引先など多種多様な利害関係者(ステークホルダー)との不可分な関係を視野に入れた上で企業価値を高めていくべきものであり、企業価値について、もっぱら株主利益のみを考慮すれば足りるという考え方には限界があり採用することはできない。(ブルドックソース事件東京高裁判決)】
 続いて「「株主主権主義」と「世界経済の金融化」との関係。
 【「株主主権主義」への傾斜は「世界経済の金融化」と無縁ではない。
「投資」の意味が変わった。19世紀〜20世紀、資本所有者は、自分の判断でモノをつくり、有用なサービスを提供する事業家に直接投資した。
現在は、それと対照的に、投資取引は、カネで生産手段を作る/買うために行う投資行動より、今手放す金融資産がより高い資産価値を持って帰ってくるための取引が圧倒的に多い。東京株式市場で、日本の会社が「モノ」をつくるための新規上場会社の株売却による資本調達の総額は、2000年から2009年まで、最低1.4兆円、最高6.2兆円だった。2007年の年間株売買の「出来高」(約1000兆円)の微々たる部分でしかない。】
そしてこうした「金融化」の背景には「国家の社会保障の衰退化」がある、と解説しています。
 【1945~80年の間、先進諸国で著しかった傾向の一つは、集団的保険、国民のリスク・プールを作る社会保障制度を徐々に完備してきたことである。いわゆる賦課制の原理を貫徹する制度が基本だった。
 賦課制の原理とは、年金制度について言えば、今年の老人給付を、今年現役で働いている人たちの掛け金で払うような制度である。
 高齢化、少子化の時代が襲ってくると、掛け金を払う人・給付を受ける人のバランスが変わってくる。その対策として、次のような提案がある。
●現役の人の掛け金をだんだん上げる。
●毎年の掛け金収入と給付のギャップを消費税など国税の一般収入で補う。
●「国家共同体の中の分かち合い」という原理の代りに、基金制度と「自己責任」の原理に移行する。つまり、個人のレベルでいえば、給付を貰う権利が、自分の一生の掛け金の累計額、およびその貯蓄/投資の利回りによって変わるという原理を採用する。
 (日本は)過去15年間は第三の対策に重点を置いてきた。アメリカの税制から名をとって「401k」の個別基金勘定を、国家年金にも、会社年金にも導入し、医療の自己負担分を増やしたりして「自己責任」の原理を推進してきた。
 こうして年金基金医療保険基金などが膨張し、市民同士の絆ではなく、資本市場が社会保障の基本となっていく(これを「国家の社会保障の衰退化」と筆者は言う)。その結果、金融資本はますます膨張せざるをえない。年金基金の資産額は、資産価格の変動でかなり変動するが、金融危機でもっとも価値が下がった2008年には、世界の合計が、世界のGDPの58%であった。09年には70%にあがったのだが、まだ07年のレベルに及んでいなかった。
 「リスクの個人化」、「社会保障制度の衰退」が、金融資本の著しい拡大の一つの源泉であったことは明らかである。】

 さすが、日本の研究者!日本の社会、経済を鋭く分析展望しています。