クラウド「超」仕事法

クラウド「超」仕事法』(野口悠紀雄著、講談社2011/11月刊行)を読んでみました。
クラウド」という言葉は、大分前に紹介したことがあると思います。データ(ソフトも)を自分のパソコンのハードデイスクでなく、グーグルやヤフーなどIT企業のコンピュータに保存して、パソコンを使いこなすことを言うようです。
 実のところ、何故それがクラウド(CLOUD:雲)というのか、私にはピンときませんが、英米人の発想だとクラウドらしい。日本人なら「オテントサマ」と言った語感です。どこの土地に行ってもオテントサマがあるように、何処へ行っても雲があるから、何処でもPCで仕事が出来る方式をクラウドと名づけている。つまり、インターネットに接続さえすれば、データがあるから何処に居てもPC作業が出来るという仕事法です。
 今でも、私は消えてしまっては困るメールはGメールに転送していますので、自分のPCのメールは事故で消えても差し障りはないし、重要な文書はグーグルのDocumentsに保管しています(自分のPCに保管するより、IT企業のエンジニアが管理しているクラウドに預けたほうが安心。機密が保たれるか心配という方も見えるかと思いますが、基本的に私には、機密にしなければならない情報はないし、もしあればPCには入れません)が、来年からもう少し本格的にクラウドを使ってみようと、この本を手にしたのです。
 【著者は、本書のテーマは「クラウドサービスでわれわれの仕事や生活がどう変わるか?」であると説き起こしていますが、第1章から4章では、著者の仕事や生活がどう変わったかを説明しています。(野口さんは、スマートフォンで、インターネットにアクセスして、自分の今日の予定や3ケ月先のスケジュールを確認しているそうです)
 特に第4章で、入力の速さと一覧性では(PCよりも)紙の方がすぐれていること、および、PDFは電子情報の架け橋との主張が面白い。
 第5章「クラウド時代に生き残るメデイヤ」でYoutubeは大きな可能性を持つ、と論じています。新聞もテレビもクラウドで見ればよい。新聞の役割は重要性の評価であり、電子書籍について、「電子書籍の優位は明らかだが、電子書籍には書き込みができない。書籍も図書館もなくならない。
 第6章「クラウドを制するものが未来を制する」では、アップル、グーグル、マイクロソフトなどのクラウド制覇を目指す企業競争を語ります。
 第7章「クラウドは民主主義と両立するか」で、『京大カンニング事件は大学入試のアナクロニズム』、さらに『コピペは悪とするのもアナクロニズム』と主張します。 
 結論として、コンピュータは機能のすべてを使う必要はないので、コンピュータは何が出来るかが問題でなく、自分がコンピュータを使って何をしたいかが重要です。