ラーメンと愛国

『ラーメンと愛国』(速水健朗著、講談社新書)という本が新聞や雑誌の書評欄で話題になっていますので、大学図書館で借りてきて読みました。
 一言で言うと、「ラーメンに関わる社会現象学」といった本でしたが、印象に残ったエピソードを最初に紹介します。
【1996年ペルーで発生した日本大使公邸占拠事件・・・
 日本人24人を含む71人が127日間にわたる人質生活を送ったこの事件で、赤十字を通して人質たちに届けられた食料品の中にインスタントラーメンがあった。犯人グループの中には、10代の少女も交じっていた。グループの女性メンバーは、人質に勧められてこのラーメンを「おいしい、おいしい」と喜んで食べたという。ペルーでもインスタントラーメンは、きわめて安い値段で手に入る食料である。だが、この少女はそれすらも食べたことがなかったのだ。犯人グループはMRTAを名乗る共産主義運動ゲリラ組織だが、この少女は極貧の環境から抜け出すために組織に参加していた。
 少女は、初めて食べるラーメンに感動し、これを家族のために持ち替えろとリュックサックに詰め込もうとして、リーダーに叱られてという。結果的には、この事件の犯人たちは、ペルー軍・警察の特殊部隊の突入によって全員射殺された。少女も家族にインスタントラーメンを食べさせることはかなわなかった。】
 なんとも、いたましいエピソードと思いませんか。

 このインスタントラーメンを発明したのは、日清食品を創業した安藤百福であったことは有名です。
【百福が得たアイデアとは、いつでも安価に食べられるラーメンを、工業製品としてつくるというものであった。】(カップ・ラーメンとカラオケは、戦後の日本人が世界の人々に貢献した最大の発明と私は思う。)
 この発明の背後にあるのは、戦後の米国の食糧援助。
 【ララ物資は1952年まで継続的に続けられたが、日本中津々浦々の小学校で学校給食が維持されたのはそれ以外にも継続的にアメリカからの小麦などの援助物資が届いたからである。
 当時、アメリカの小麦農家は大量の余剰在庫を抱えていた。国内市場では小麦は供給過剰。このままでは、小麦の価格が暴落し、農家は大きな損失を抱えかねなかった。こうした事情の下、アメリカから日本への大量の小麦援助が始まる(1946年には34万トン、50年には157万トン)。
米陸軍が占領地の復興支援のために使った「ガリオヤ資金」も、日本への供与分は7割がアメリカの余剰農産物の購入に充てられたという。日本が小麦を購入する見返りとして、アメリカは学校給食として使う分の小麦を無償提供した。
 農業界をバックに持ったアイゼンハワーが、大統領就任後、最優先で取り組んだ経済問題が、この余剰農産物の処理だった。アイゼンハワーは、アメリカの穀物を輸出する可能性を調査する調査団を世界中に派遣した(ボールズ調査団)。
 調査団のリサーチ結果において、余剰穀物の販売先として最もふさわしいと結論付けられたのは日本であった。
1954年、アメリカは余剰農産物処理法を施行。日本は、余剰農産物処理法に基づいた2度の協定締結で、総額720億円の余剰農産物を購入。その約半分を小麦が占めた。】
 【日本が余剰農産物協定を締結した主たる目的は、復興資金の借り入れである。小麦はあくまでおまけ。・・日本政府は小麦を国民に消費させる手段を考えさせねばならなかった。
 政府間の話し合いの中には「粉食奨励費」という項目が存在した。日本において小麦ショクの普及を促す広告宣伝費が設定されていたのだ。アメリカは、小麦の代金をすぐに要求しなかったが、その一部は、日本での小麦の広告宣伝費に充てられることになった。
 日本の学校給食は、完全にパンを中心としたものとして四半世紀続いた。】
安藤百福の言葉である。「日本人の食生活とパンは、所謂水と油じゃないですか。どこか無理があるのですよ。」
「パンが悪いといっているのではないですよ。しかし、彼らは服飾として肉や乳製品を多量に消費する。だから、主食としてのパン食が成り立っている。ところがどうです。日本の伝統的食生活は、味噌汁、納豆、せいぜい魚といったところ。緑茶を飲みながらパンをかじるというのでは、バランスが取れるはずがない。」
 百福は東洋には麺食という、独自の小麦食の伝統があることに気付いた。】
そして、ラーメンを工業製品として大量に生産するという発想に至る。
ここで、
【大量生産の思想・技術を持たずにきた戦前の日本の産業界に、それらをもたらしたのは、アメリカの数理物理学者、統計学者のエドワーズ・デミングである。】
と、デミングの品質管理や、トヨタ方式などの日本の生産管理、それにドラッカー経営管理思想などにも話が及ぶところが面白い。
時代は、スーパーマーケットというインスタントラーメンの大量消費の場を生み、テレビという大量消費のための広告宣伝の場を生んでいた。

ラーメンの歴史をたどると、戦後の日本社会の変貌をたどることになるというストーリ展開です。
ラーメンは(中国料理に発祥したとはいえ)、日本の国民食、まさに日本の食品になった。