ケインズとハイエク

ケインズハイエク』(松原隆一郎著、11年12月刊講談社新書、)を、大学図書館の新着本の棚に見つけ借りてきました。
 ケインズ(1883〜1946)とハイエク((1899〜1892)は19世紀末のケンブリッジとウィーンに生まれたが、やがてハイエクが渡英、1920年代からケインズの没するまで交流を続けた。
 筆者の松原氏は執筆意図について、「あとがき」でこう述べている。
ケインズハイエクが残した文章にも、現代に光を当てるものが多くある。ケインズは1930年代のイギリスの不況対策として低金利政策により銀行の融資で国内投資を活発化させるよう推奨したが、資本はより金利の高い外国へと逃避してしまう。そのジレンマを解消するため、ケインズは国際資本移動に制約を求めるべきだとして「国家的自給」を唱えた。ケインズのこの文章を読むと、低金利政策ゆえに資本逃避が起きている現在の日本経済を描いたものではないかという錯覚に襲われる。』
またハイエクは『信用拡張が誤投資をもたらすと、最終的には激烈なゆり戻しが訪れ・・恐慌に至るとしている。日本の長期にわたる低金利政策で円・キャリートレードが行われてアメリカの不動産投資を少なからず誘発し、アメリカ国内での投資銀行などとともにサブプライム危機やリーマン・ショックを引き起こしたのだとすれば、これらはハイエク的恐慌であった。』
 同じく「あとがき」に『野田政権のもとで関税の完全撤廃につながるようなTPPに日本が参加することになったが、製造業を中心とする過剰な輸出が中長期的に円高をもたらしているのだとすれば、それが同じ円で決済せざるをえない他の産業や労働の対外競争力を低下させる原因となっている。ハイエクならば、貿易自由化という以上は同時に貨幣発行の民営化まで踏み込まなければならないと主張する(農業と製造業とは別の通貨を使う)のではないか(1976:貨幣発行自由化論)。』、
 つまり、ケインズハイエクの文献から、今日の日本経済の分析を試みたもののようだ。
 松原氏の著書では『日本経済論』(NHK新書、11年1月)を読んでいる。
この本を読んで、私は『私の独断:80円台にまで円高が進行した背景には、(日本から)米国への投資額が減少したことがある。日本が従来国際収支の黒字を米国に投資してきたのは、ほぼ3%あった日米間の金利差に因る。しかし、米国が世界覇権を継続するためには、金利差が縮小しても、日本の資金を吸い上げる必要があり、そこで登場したのがTPP。投資の自由化で円資金の米国移動を図りたいのだ。』と感じた。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20110308
 この「ケインズハイエク」において、資金の流れが一国内に留まらない経済を、ケインズハイエクがどう分析しているかを、述べたかったようだ。
 しかし、本書の記述は、ケインズの「一般理論」や「貨幣論」を傍らに置きながら読み進めないと理解が困難であるように、私には思えた。
 印象に残った文章は、
 『物理学者でしかない物理学者は、それでも第1級の物理学者、そしてもっとも価値ある社会の一員、でありうる。しかし経済学者でしかない経済学者は、偉大な経済学者ではありえない。これに加えて私はむしろ、経済学者でしかない経済学者は、積極的な危険となるか、そうでなくとも迷惑となる、といいたい。』(ハイエク
「主流派経済学の誤りは、複雑減少である経済を単純現象として扱ったことである。
 複雑現象の科学においては、適切な仮説を選択したかどうか、そしてそれらを正しく組み合わせたかどうか、が重要な問題になる。」(ハイエク