奇跡の脳

『奇跡の脳』という本が4月、新潮文庫から刊行されました。
『・・・の脳』とか『脳の・・・』とかの題名の本を見ると、すぐ買いたくなって、購入しました。
 読んでみて『凄いなぁ』と感じました。筆者は、ジル・ボルト・テイラーという1959年生まれの脳科学者です。彼女は、37歳の1996年12月、脳卒中で倒れます。脳の左半球の機能が失われました。脳卒中の起きたときの症状を脳科学者の立場から詳細に語り、その後の治療とリハビリについて語っています(治療の過程、「睡眠はファイルを作る」という筆者の言葉が印象に残りました)。脳卒中を起こした人はほとんど半身不随になるか、死んでしまいますから、その時の体験を語った人など、聞いたことがありません。それが『凄いなぁ』の意味です。その時どうなるか知りたい人にお勧めです。勿論、左脳をやられる場合と右脳をやられる場合とでは違うでしょうが、彼女の記述から類推することは出来ます。なぜか脳卒中は、左半球の方が右の4倍も多く起きるそうです。いずれにしても、そんな貴重な体験を文庫本で読めるのだから感嘆です。
 それに、訳文がすばらしい。訳者は、竹内薫氏。通常、外国語の翻訳を読むと、日本語の文の運びと違っていて、読みにくいことが多いのですが、登場人物名がカタカナでなかったら、日本人の著作と思ってしまうぐらい、こなれた訳です。そこも『凄いなぁ』です。
 脳卒中には基本的には二種類ある。虚血性と出血性で、虚血性が全体の脳卒中の83%、これは固まった血の塊で細い血管が詰まってしまう。出血性は、脳卒中の17%で、血液が動脈から漏れて脳に流れこむ。まれに脳動静脈奇形という生まれつき動脈の形に異常があって、動脈がじかに静脈と結合していて、その結合部分が壊れて出血する。筆者の場合がそれでした。
 尚、「脳科学の解説」が末尾にまとめられていますが、原著では本文の中だったそうです。さらに巻末には、養老孟司氏の毎日紙の書評と茂木健一郎氏の解説が付されている。
左脳の機能が失われ、右脳が前面にでてくる。それを著者は「悟り」の境地、自分が宇宙と一体化すると表現しています(ここが、この本の一番の驚異!です)。
 福岡伸一氏は「生命とは動的平衡である。物質とエネルギーと情報の交換が絶えず行われ、それが化学反応を引き起こし、生命という平衡を保つ」と、述べていますが、私には、右脳が前面に出る世界とは、その動的平衡を実感する世界だと語っているように思われました。
『個人的にお付き合いするとしたら、私は病後の筆者と付き合いたいと思う。発作前の筆者は、おそらく典型的な、米国の攻撃的な科学者だったに違いないからだ。本書の後半は、ほとんど宗教書のようだと感ずる人もあるかもしれない。でも、脳から見れば、宗教も特殊な世界ではない。脳が取りうる一つの状態なのである。』、養老氏の言です。
 茂木氏の解説。「のうそっちゅうになっちゃったんだわ!のうそっちゅうがおきてる!」次の瞬間、テイラーさんの心にひらめいたのは、「あぁ、なんてスゴイことなの!」「これまでなんにんのがくしゃが、脳の機能とそれが失われていくさまを、うちがわからけんきゅうしたことがあるっていうの」科学者という生き方のすさまじさが現れている。