レジーム・チェンジ

『レジーム・チェンジ』(NHK新書、12.03・30刊行)という本を読みました。筆者は、中野剛志・京都大大学院工学研究科准教授、経産省課長を経て現職です。
 この本は、デフレと新自由主義とEU問題について、面白い仮説を提起しています。
 筆者の提示する仮説の数々をご賞味ください。
1.新自由主義はデフレには無効だった。
 新自由主義とは、「小さな政府」、「民営化」、「規制緩和」、「自由化」、「グローバル化」といった主張を特徴とする。
 筆者はデフレを「需要不足/供給過剰」と定義する。逆にインフレは「需要過剰/供給不足」である。いわゆる新自由主義な考えに基づく「構造改革」は供給力を増やす改革であるから、デフレには効かない。
 新自由主義は、「市場原理主義」とも呼ばれるように、自由市場の価格メカニズムが資源配分を最適化し、経済を最も効率化すると考えている。市場原理が有効に機能するように、規制を緩和したり撤廃したりすれば、経済が効率化し、生産性が向上する(つまり供給が効率化する)と考える。供給の効率化は、インフレには効果がある。新自由主義はインフレ対策だった。
 また、労働市場の自由化(雇用の流動化)は、企業がより低い賃金の労働者を容易に雇用できるので、賃金を引き下げるデフレ圧力になる。さらに、新自由主義者は、金融市場の自由化を進めれば、金融市場が最も生産性の高い企業を見つけ出して資金を流しこむ筈と信じて、グローバル化を大いに歓迎する。
 そして、新自由主義は、公務員の数が少ない「小さな政府」を理想とするが、公的な雇用の機会を減らすことは、需要抑制策になる。
 実は公的な雇用は、営利を目的としない雇用機会を創出するので最低賃金レベルの労働需要を無限に増やすことが可能である点、特に重要である。
2.レーガンサッチャー構造改革はインフレ対策だった。
 80年代初頭、アメリカやイギリスが直面していた経済の問題とは、デフレではなく、悪性のインフレでした。両国は、物価の下落ではなく上昇に苦しんでいた。レーガンサッチャーが断行した新自由主義的な改革とは、インフレを退治するための処方箋だった。いわば、インフレを収束させるために、あえて人為的にデフレを起こすというのが、新自由主義的な改革の要諦だった。
 ところが、90年代初頭のバブル崩壊によって日本が直面した問題は、極端な資産価格の暴落でした。当時の日本は、レーガン政権やサッチャー政権が直面していたインフレとは全く反対の、デフレを克服するための対策を講じなければならなかった。にもかかわらず、日本は、レーガン政権やサッチャー政権の新自由主義を見本に、構造改革を推進した。
 デフレに転落しようというまさにそのときに、インフレ退治のために人為的にデフレをおこそうという政策を実行。しかも、それを10年以上も続けた。日本経済が構造改革とともに深刻なデフレに陥り、そこから抜け出せなくなったのも、当然である。
3. 新自由主義は、「市場による資源配分」を重視し、「政治による資源配分」を排除する。
 経済における資源配分には、「市場による資源配分」と「民主政治による資源配分」(と筆者は言うが、私は「政治による資源配分」と呼ぶべきと考える)の二つがある。
 主流派経済学は、市場の原理は、その価格メカニズムによって効率的な資源配分を実現し、経済の均衡と安定を約束してくれると考える。これに対し、政府が財政出動(つまり公共投資など)によって雇用を創出したり、規制によって社会的弱者を保護するのが「民主政治による資源配分です。
(著者が「政治による資源配分」を弁護するのは、経産省の官僚であった経歴のためかも?)
「非政治化された」経済運営とは、「民主政治による資源配分」を排除することです。
 英国の政治経済学者ピーター・バーナムはブレア政権の経済運営を分析し、「非政治化」と呼んだ。国際的な「非政治化」の最たる例が、EU,特にユーロという通貨制度です。

4.EUの設計者はデフレを想定していなかった。

 EUは、その根拠法であるマーストリヒト条約により、欧州中央銀行が単一通貨ユーロを発行して金融政策を実施することになった。同盟各国はその結果、金融政策や為替政策の権限を失った。各国は財政赤字はGDPの3%まで、公的債務残高は原則としてGDPの60%までと制限しています。
 結局のところ、ユーロというシステムは、金融危機やデフレを想定せず、インフレの防止のみを主眼にしたデフレ・レジームであった。インフレの防止には有効だが、デフレには逆効果だった。
 EUの設計者たちは、国際条約によって「非政治化」さえ行えば、政治の不適切な介入によるインフレは防止することが出来、後は、市場のメカニズムが自動的に需給を調節してくれると考えていたのだろう。
5.新自由主義というデフレ・レジームが資本主義を変質させた。
 

 デフレ・レジームは70年代の末から80年代前半にかけて成立した政策レジームだった。それは、単にインフレを退治したにとどまらず、資本主義を変質させて、金融資本主義を生み出した。
 79年にFRB議長に就任したポール・ボルカーは、インフレ退治を掲げて、急進的な高金利政策を断行した。企業は、高金利のため、資金調達が困難になり、技術開発投資など、リスクを伴う長期的な投資に消極的になり、短期的な利益を追求するようになる。この短期志向が製造業の競争力を弱め、また高金利に伴うドル高は、アメリカの輸出競争力を低下させた。一方、効率市場仮説を支持する新自由主義に支えられ、金融市場の自由化が進められ、様々な金融商品が開発され、金融市場が膨張し、投機的な性格が強まった。
 軍事費など財政支出が増加し、高金利下の政府債務の増加は金利を上昇させ、海外からの資金を呼び込むことになって、マネーのグローバル化が進行した。
 企業の視野の短期化、金融市場の自由化、マネーのグローバル化があいまって、製造業が後退し、金融のウェイトが大きくなる「金融資本主義」が形成された。
6.金融資本主義に変わる新たな資本主義では、政府が積極的に投資する。
 新たな政策レジームは、デフレに終止符を打つと同時に、金融資本主義に変わる新たな資本主義を形作るものでなければならない。
デフレとは、民間企業や消費者が融資を受けて投資や消費を行うことを控えることで生ずる需要縮小の悪循環です。物価の下落=貨幣価値の上昇という局面で投資や消費を控えるのは、経済合理的な行動で、民間主体が経済合理的である限り、貨幣価値の上昇が予測されるにも関らず、負債を増やしたり投資を拡大することはありえない。ここに政府の出番があり、政府支出の拡大と金融緩和策が登場する。
需要が不足するデフレ期には、政府が投資を拡大するしかないのだが、これについて誤解もある。政府が旧来型の産業である建設業が潤うような公共事業ではなく、将来成長が期待される新たな産業分野に投資すべきだという意見です。
しかし、実際のところ、将来的に成長しそうな産業を見つけることについては、政府の能力は甚だ心もとない。そんなことより、政府がやるべきはとにかくデフレを止めるべく、需要と供給のギャップを埋めることです。
 デフレ期の政府支出の拡大は、増税でなく、国債の発行で賄うべきだ。なぜなら、デフレは需要の減少に起因するから、需要を減らす増税でなく、国民の貯蓄を借り上げて政府需要に引き当てる国債発行がのぞましい。
7.自国通貨建てで国債を発行する国の財政破綻はない。 
 国債増発に関しては国の財政破綻を心配する向きもあるが、財政破綻は、デフレ下の日本では全く杞憂だ。
 財政破綻した国というのは、自国通貨でなく外貨建てで国債を発行していて、返済不能に陥った。歴史上、自国通貨建てで国債を発行している国の財政が破綻した例はない。
 最近では、ギリシャやイタリヤなど、ユーロ加盟国の財政危機が問題化している。これらの国々は、ユーロ建てで国債を発行しており、かつユーロの発行権を有していないから、返済不能の可能性はありうる。しかし、アメリカや日本が返済不能になることはありえない。自国通貨建ての国債だから、いざとなれば自国通貨を発行して返済することができる。
 ただし、政府の債務は返済不能にならないが、地方自治体の債務は返済不能になることはありうる。地方自治体には通貨発行権がないからです。
 通貨発行権のない地方政府には財政の制約が中央政府よりはるかに厳しい。それゆえ、地方分権改革は、結果として財政支出を抑制する。地方分権は、地方の自主性が尊重されるということで歓迎されてきたが、デフレ下に行うと、デフレを悪化させる政策になる。
インフレターゲット論について、筆者の以下の指摘は首肯される。
『金融緩和によって増大したマネーは、必ずしも国内の投資や消費に廻らない』
だから、金融緩和は、国債発行による公共投資の拡大とセットでないと、効果はない。

8.日本の失敗
 振り返ってみると、橋本内閣も小泉内閣もそれ以後の政権も、インフレに対応する政策は実行しても、デフレへの有効な対応策はとってこなかった。TPPへの参加も、安価な農産品の流入外資系企業の参入による競争の激化で、国内に強力なデフレ圧力を発生させるであろう。