外尾悦郎、ガウデイに挑む

「外尾悦郎、ガウデイに挑む」(星野真澄著、NHK新書、12年5月刊)という本を大学図書館で見つけました。手にとってみると、「サグラダ・ファミリア贖罪教会」の写真が巻頭にある。著者は、NHKの番組デイレクターで「クローズアップ現代」などを担当。「あとがき」をみると、「BSプレミアムハイヴィシヨン特集『いつでもスタンバイOK彫刻家・外尾悦郎 ガウデイに挑む』(2012年3月19日放送)をもとに、書き下ろしたドキュメンタリーです」とある。
 どうやら、外尾悦郎なる彫刻家の半生記で、彼はサグラダ・ファミリア教会で仕事をしているらしい。サグラダ・ファミリア教会なる建築物の名は聞いたことがある。バルセロナにあって、なんでも、ガウデイという著名な建築家の設計とか。
 未完の建築物で、設計者の亡くなった現在も、着工以来130年、建築を続行中らしい。その建築、日本人がやって居るの!と、好奇心から読んでみることにしました。
ウイキペイアによると、外尾悦郎(1953−)は、『福岡県立福岡高等学校京都市立芸術大学美術学部彫刻科を卒業。非常勤講師として勤務したのち、1978年、バルセロナに渡る。彫刻家として認められ、アントニ・ガウディの建築、サグラダ・ファミリアの彫刻に携わる。2000年に完成させた「生誕の門」が、2005年、アントニ・ガウディの作品群としてユネスコ世界遺産に登録される。リヤドロ・アートスピリッツ賞、福岡県文化賞(2002年、交流部門)受賞。日本とスペインとの文化交流の促進の功績により、2008年度外務大臣表彰受賞。妻はピアニストの比石妃佐子(ひせき ひさこ)』。
まずは、サグラダ・ファミリア教会とガウデイについて。
【ガウデイは、晩年サグラダ・ファミリアの中に住み込んで、仕事に没頭した。全財産を建設費に投じ、それでも資金が足りなくなると、街に出て、家々を訪ね歩いては自ら寄付を募った。
ガウデイは、自分がサグラダ・ファミリアの完成を見ることができないのを知っていた。自分の死後も建設が続くように手本となるよう設計図や模型を作り、毎日のように職人たちに語りかけた。
 諸君、明日はもっといいものを作ろう】
 ガウデイの死後、1936〜スペイン内戦。【サグラダ・ファミリアもまた、戦火に見舞われた。教会内部の彫刻も破壊され、大切に保管されていたガウデイが残した設計図や模型までもが、粉々に打ち砕かれた。ガウデイが次の世代に残した教会建築の道しるべは、ほとんどが失われ、建設の続行はもはや不可能に思われた。
 カタルーニヤの人々が建設を再開できたのは、内戦終結から15年後、1954年のことだった。・・・ガウデイの弟子たちが土に埋まっていた模型の破片を拾い集めて復元を始めた。
 現在も、サグラダ・ファミリアでは、7人の模型職人たちが、複雑なパズルのようになった模型をつなぎ合わせるという、気が遠くなるような作業に挑み続けている。】
 次に外尾さん。サグラダ・ファミリアで「生誕の門」の製作に取り組む。
【高さ5m(門の高さは最大8mだが、最上部は固定して開閉しない)の金属の扉を分解せずに一枚板で造ることです。普通、これほど大きな扉は、三つから四つに分割して鋳造し、あとで溶接して1枚にします。】
 外尾さんは日本の技術の可能性にかけた。「Vプロセス鋳造広報」といい、真空状態で砂を固めて鋳型を作る。
 日本の技術がこうした建築物に活用されるのはうれしい限り。尚、【サグラダ・ファミリアにある彫刻は、外尾さん以外はすべてカタルーニヤ人の作品】とか。

最後に外尾さんの周辺の女性の話、妻の妃佐子さんと弟子の大竹志歩さんの話。
 【今回、大竹さんが作る模型は、高さ8mの扉を4分割した真ん中あたり、最も重要な部分の模型だ。大きさは、高さ160センチ、幅270センチ。彼女は「私が分からなくて悩んでいると、外尾さんがだいたい言うのは、『手が答えを出すから大丈夫だよ』って。『頭で考えないで、やってご覧』すごい正解で、物に触れればどうすればいいかっていう答えがだいたい出てくる」。】
 妃佐子さん【結婚後妃佐子さんはバルセロナに移り、スペインの世界的ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャに師事し、スペイン音楽の真髄を追い求めた。】
 「生誕の門」の天使像の製作秘話がある。【音楽家の動きを彫刻にリアルに表現するために、比佐子さんにモデルを頼み、様々な角度から写真を撮って石膏模型を作ったのだ。もちろん、カタルーニャ人にもモデルを頼んで、顔つきや骨格を研究し、サグラダ・ファミリアにふさわしい彫刻に仕上げているが、バイオリンの天使は夫婦の合作だった。】
 九州男児サグラダ・ファミリアの製作に携わっているという話。初めて知りましたので、ご紹介しました。