通貨を考える

『通貨を考える』(中北徹著、ちくま新書、12年6月刊)を読みました。
読もうと思ったのは、三つのことを知りたかったからです。
ユーロ危機の問題から通貨の統一がもたらす国民経済への影響、次に元と円の直接交換の意味についてです。最後に、ハイエクの「国際通貨の複数通貨論」です。
 
ブレトンウッズ体制に代表される固定為替制のもとでは、当局は一定の為替レートの維持を約束していた。そこで、自由な金融取引が認められるかぎり、投資家は何ら為替変動のリスクをとることなく、利ざやを稼ぎ出すことができた。投資家は、高金利を求めて低金利のA国から高い金利のB国へ資金を移動させて、一定期間預金して確実にリターンを稼ぎ出せた。しかし、これは、資金の対外流出をもたらす。それでもなお、固定性を維持しようとするなら、当局は外貨準備を取り崩して、それを代価に自国通貨を購入するしかない。これは早晩外貨の枯渇をもたらし、固定性の崩壊を招く。
言い換えると、固定性を維持する限りは、A国は金利の引き上げ、つまり、B国への鞘寄せをせざるをえず、金融政策の独自性を放棄せざるを得ない。そうでなければ、資金移動を制限するために、為替取引など金融規制を導入して、あえて金融の自由化に逆行する措置を発動せざるを得ない。
つまり、為替レートの固定性、金融政策の独立性、資本移動の自由、という三つの命題を同時に達成することは不可能である。同時達成できるのは、これらのうち二つだけである。これを「トリレンマの命題」と呼んでいる。
この考えを、EU問題に適用すると、複数の独立国が共通の通貨を用いるということは、その独立国間で究極の通貨の固定制を取ることを意味する。さらに同じ通貨なら資本移動は自由にならざるを得ない。従って、金融政策の独立性を諦めざるを得ない。つまり、国家として独自の経済政策が諦める。国の財政政策の統合が求められることになる。

余談になるかもしれないが、このEU。IMFを使って危機を避けようとしている。
IMFとは、経常収支の赤字国が外貨準備の不足に直面した場合、短期の資金(外貨)を融資し、同時に経済改革を迫ることを目的とする、国連の支援をえている金融支援のための組織である。最近のIMFは90年代末期のアジヤ通貨金融危機を最後に、その役割を劇的に縮小させていた。アジヤ諸国への介入が厳しかったことから、(本来外貨需要の大きい)新興国が外貨準備を潤沢に保有し、IMFの支援を仰がなくともすむように慎重な経済運営を図る方向へ政策の姿勢を大きく切り替えたためである。・・・活動資金を被救済国からの金利で賄っている関係上、IMFは存亡の危機に立たされていた。
そのIMFは存亡の危機に立たされていたとき、皮肉なことに、EUIMFからの資金、救済を求めることとなった。

先月から、円と元の直接交換が始まりました。「直接」というのは、これまでは、元と円を交換する場合、元を一旦ドルに換え、そのドルで円を買うという手間が必要でした。それがドルを経由しなくても、直接円・ドルの交換が出来るようになったという意味です。
今日、世界の基軸通貨は米ドルです。基軸通貨とは「国際決済」という面からみると、二つの役割を意味します。一つは、「媒介通貨」、もう一つは「保有通貨(準備通貨)」の二つです。
「媒介通貨」とは、多くの通貨間の決済が二つの通貨間の直接決済でなく、双方を一旦基軸通貨(米ドル)に交換し、それらが交換されて、決済が完了する仕組みです。
筆者は、これからの基軸通貨を論じて、米ドルのような一国の通貨を機軸通貨とする方式から、各地域の貿易の実態に応じて、ボトムアップ方式で、媒介通貨をまず直接交換に。準備通貨は、地域の実態に応じた通貨のバスケットにすることを提案している。

ハイエクは、晩年の著作『貨幣発行自由化論』で、先鋭な自由化論者の立場から、政府による貨幣の独占供給を否定した。ハイエクが定時した通過供給のシステムとは、複数の民間銀行が国内でそれぞれの通貨を流通させることであった。複数の通貨間で競争が生じ、過剰に供給した銀行(通貨)が信任を低下させ、やがて淘汰されることにより、インフレやバブルを生じさえないと説いている。バブルなどが再発する背景には、通貨発行権を独占する中央銀行が、時流に迎合し、政治家の圧力に屈して、金利の安い通貨を発行する判断に傾く可能性があるからだ。
この発想を、現代の国際社会に当てはめるならば、ドルやユーロが規律を失えば、ドルやユーロが売られて、たとえば円が買われるという形で選別が働く。

現在の世界経済の混迷の原因の根底に基軸通貨の問題があると私は考えます。本書は、小冊子ですが、今日の基軸通貨の問題に切り込んだ著作と評価します。