植物からの警告

植物学者の湯浅浩史さんが、面白い本を出したと聞き、大学図書館で借りてきました。
『植物からの警告』(湯浅浩史著、ちくま新書12年7月刊)です。
著者は、1940年生まれ。書名の意味は、
【動物と違い植物は動くことができません。動物よりも、環境と強く結びついている。ひとたび環境が激変すれば、植物は枯れていくしかない。
 たとえば、降雨量がいちじるしく減少した土地では、耐性の強い植物の親はなんとか生きながらえることができますが、子ども(苗や若木)はそうはいかない。親の周りに、その子どもがまったく見られない。植物の「高齢化社会」です。こうした問題が生じている場所が世界中には沢山あって、高齢化の危機に直面している植物は少なくない。
 植物たちは、今起こりつつある環境変動を身をもって体験し、その激烈さを私たち人間に警告している。】
 本川達雄先生は、生物学者の文明論を展開していますが、湯浅先生は、植物学者の文明論をこの書で展開しています。(湯浅先生の主張は、下記で見ることができます。
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000117_all.html
私の読書感想文より、このサイトのほうが分りやすいかもしれません。)
 【「地球温暖化」という言葉からは、問題の元凶を気温の上昇だけに集約するような印象を受けます。問題の本質を正確に表してしていない。「気候変動」と言う言葉のほうがより適切です。地球温暖化の危機を強く主張する人は、気温が数度高くなると警告しておりますが、気温上昇が及ぼす影響よりも雨の降り方が変化する影響のほうが、環境に与えるインパクトという点でずっと過酷です。
 乾燥地では、まったく雨が降らないかと思えば、翌年には信じられないくらい大量に降る。温暖化の場合、気候の変化は数度の上昇ですが、降水量の場合はゼロか一かというふうに極端にあらわれている。】
 植物にも「高齢化社会」があるという話。
 筆者は、マダカスカル島の巨木バオバブの研究を40年来行っているそうですが、近年、マダカスカルでは雨の降り方に変化が生じている。バオバブの種子は、水が十分にない環境では芽を出しません。種子の大きさはギンナンより少し小さいくらいで殻がとても堅い。  この堅い殻がたっぷりとした水でふやかされないと、バオバブは発芽しない。たとえ発芽しても、その後に雨が適度に降り続けないと、大きく育つことができない。
マダカスカル西部の観光名所になっているムルンダヴァなどの地域では、バオバブの次の世代が育っていない。若い木がまったく見当たらない。
「地球に優しい」って
マダカスカル南部では見渡す限りのアルオウデイアという多肉植物、地球の気候変動で雨の降り方が遅くなり、種子をこぼす時期に雨が降らず発芽が困難になっているのですが、林を切り倒して広大な面積のサイザル麻畑がつくられました。サイザル麻は、昨今のエコ・ブームによって、にわかに需要がたかまった。ナイロンのような石油製品とは異なり、サイザル麻は「地球に優しい」。なぜなら燃やしてもダイオキシンを出したり、環境に過度なダメージを与えない。そうした理由でヨーロッパなどに繊維として輸出されている。
 しかしその結果、アルオウデイアの林に住む、シファという原猿は住む場所を失いつつある。

 イースター島、ご存知ですね。モアイという巨大石像が有名な島です。
島の東側でラノララクという小さな火山がある。今は噴火していないが、高さ75mぐらい。その火山の火口壁が、モアイの切り出し現場。火口壁は凝灰岩という岩、柔らかい岩石で、モアイはこれから削りだされる。
 筆者の推定によると、ヒョウタンに水を汲み、その水を原料の石にかけながら削った。凝灰岩は上のほうは風化していて水を吸い加工しやすくなる。日本でも石屋さんが墓石を加工するとき水をかけながらやるそうです。
 ではどうやって(海岸まで)運搬したか?アメリカのムロイという考古学者が考えた説が有力で、モアイに添え木を当てて、ロープで立てたり転がしたりして運んだ。ここで筆者の植物学者たる面目を示す仮説を提唱しています。
 ムロイの方法ではモアイが割れてしまう。割れないためにはクッションが要る。火口湖に生えるトトラという草をクッションに使った。さらに運搬のロープや丸太が要る。これらは木から作られた。現在のイースター島には、木は茂っていない。火口湖をボーリングして、そこに残っている花粉を調べたら木が出てきた。
 人口が増え、木をどんどん使ってしまい昔あった森をなくしてしまった。こうしてモアイを運搬できなくなった。現代の社会、地球を象徴するモデルケースだろ筆者は述べています。

 屋久島とブータンの話も面白い。ブータンの林と屋久島の林が似ているという。
 ブータンの植物の状態が、日本に知られるようになったのは、戦後、中尾佐助が1958年に、ブータンに行き、本や論文で紹介してからです。ブータンにすばらしい森林が残っている。それも常緑樹林、針葉樹、またはシャクナゲの林があるということがわかり、中尾は照葉樹林文化というアイデアを得た。
 常緑樹は、ツバキやユズリハやシイもタブもそうですが、葉の表面がちょっとテカテカして、光るので「照葉」といいますが、日本の関東以西には照葉樹林が発達している。ブータンの常緑樹もシイ、カシを中心とする照葉樹林です。ブータン人と日本人は顔つきが非常に似ていて、日本と共通する食べ物があります。
 例えばお茶や納豆、さらに麹を使ってお酒を造るなど、発酵食品文化もある。さらにソバもそうです。ブータン人もソバは大好きです。
 照葉樹林のところで暮らすブータンの人々と、日本人の生活が似ていて、しかも照葉樹林がそこに発達している。照葉樹林ブータンと日本の間にあり、中国の南部のほうも、シイ、カシの種類が分布している。そうすると、中国をはさんで、ブータンと日本の両極端に似ている木があって、似ているような食物や習慣がある。これは一つの文化にまとめておいたほうがいいと、中尾は「照葉樹林文化」を提唱した。
 中尾は「照葉樹林文化」を日本で思いつき、ブータンと日本の間の中国南部、雲南省あたりに照葉樹林文化の中心地があるのでは、と述べていた。
しかし、1984年、はじめて雲南省を訪れ「私が最初にヒマラヤではなく、雲南にいっていたら、照葉樹林文化と命名するのをためらったのではないか」と記している。
 雲南省には森らしい森はなかった。中国5000年の歴史は木をきり続けた歴史だった。万里の長城は木の犠牲によって成り立っている。長城を築くレンガは木を燃料として焼いたのだ

 そのほか、日本のモウソウチク帰化植物であり、近年、マツが全国的にかれてしまったのと対照的にタケがはびこってきた。住民がタケを利用しなくなり竹林の手入れをしなくなったから。といった話も紹介されています。