夢の原子力

『夢の原子力』(吉見俊也著、12年8月ちくま新書)を読みました。
 まず、序章から著者の主張を読み取ります。
大阪万博には、日本原子力発電が万博開催にあわせて運転を始めた敦賀原発一号炉からの送電がなされた。ちなみにこの一号炉を製造したのはGEで福島第一原発の一号炉も同じである。敦賀原発に続いて70年夏から万博会場に送電を始める関西電力美浜原発は、やはり米大企業のウェスチングハウスが製造】
【当時、すでに原発アメリカの原子力産業の重要な「輸出品」としてシステム化されており、それをきわめて早い時期に購買した上得意が日本政府や電力産業というわけだった。】
 大阪万博の頃からの日本の経済成長は、アメリカが用意した原発というシステムに乗っかったものだった。アメリカは何故、原発を普及させようとしたか?
【日本列島での原発誕生の原点にあるのは、50年代前半、アイゼンハワー政権が打ち出した核兵器の世界配備と核の平和利用、つまり「アトムズ・フォー・ピース」の両面的な政策である。・・・生粋の軍人であったアイゼンハワーは、すべての核兵器を実戦使用可能なものとして全世界の米軍基地に配備していった。・・・膨大な維持費がかかる通常兵力から、より「経済的」な核兵器による軍事戦略に機軸を移そうとした】・・しかし、
【1952年10月、米国防省で心理戦の指導をしていたステファン・ポッソニーは、アメリカによる水爆開発が、ソビエト側からの「アメリカ帝国主義の残虐性」に対する格好の攻撃材料になるかもしれないことに注意を促した。彼は、アメリカの核戦略が、それだけでは諸外国の存在自体を危うくしかねない脅威と見なされる可能性が高く、むしろ原子力を「非軍事的」な目的で活用する道が切り開かれるべきだと主張した。】
【周知のように、アイゼンハワーは1953年12月の国連総会で「アトムズ・フォー・ピース」と名づけられることになる歴史的な演説を行い、アメリカが諸外国と原子力の平和利用に関する共同研究や原発建設で協力することを約束した。
核の「平和利用」を強調し、その利益を他国に提供していく姿勢を見せることは、原爆投下や核武装の推進により軍事的な脅威となったアメリカのイメージを和らげ、世界各国に核を受け入れやすいものにしていくのに十分すぎるほど効果があった。】
【当初、アトムズ・フォー・ピース政策の直接の対象となったのは、共産圏と接するアジヤの第三世界の国々で、すでに同盟国に組み入れられた日本や西ドイツのような旧枢軸国ではなかった。しかし、日本国内の保守勢力にとっても、この政策は実利を引き出しやすい魅力的なものであった。
とりわけ50年代半ば、アイゼンハワーによる核の平和的利用戦略の導入を日本側で熱心に主張したのは、中曽根康弘正力松太郎であった。】
アイゼンハワー政権の立場からすれば、戦略核の配備も「アトムズ・フォー・ピース」も、基本は同じ経済原理に基づいていた。・・・核兵器は、通常兵力に比べ相対的に安価で圧倒的な攻撃力を有する魅力的な技術だった。】
【しかも、「アトムズ・フォー・ピース」には、広島・長崎の忘却という特別な政治的効果も期待されていた。・・・二度の被爆反核感情が強かった日本に対し、核が「戦争」ではなく「平和」の科学的技術であることを認めさせられるなら、アメリカによる「被爆」の記憶を背景化し、この国に「核の傘」の一翼を担わしていくことがもっと容易になるはずである。】
序章に続く、電力という夢、原爆から原子力博、ゴジラの戦後アトムの未来、そして、終章 原子力という冷戦の夢の各章は、この序章の各論でした。