科学の限界

『科学の限界』(池内了著、ちくま新書2012年11月刊)を読んでいたら、面白い話がありました。3分の1の法則及び40分の1の法則です。
【人類の大祖先である猿人がチンパンジーと分かれたのは約600万年前。(その3分の1)約200万年前、原人は道具(石器)を使うようになった。さらに3分の1の約60万年前、原人はアフリカから地球上に広がった。そして20万年前、ホモサピエンスがアフリカに現れ、脳の容量が増え言葉を使うようになった。6万年前、ホモ・サピエンスはアフリカから世界中に広がった。
 こうして振り返ってみると、600万年、200万年、60万年、20万年と、人類の英知の歩みは時間をほぼ3分の1で、ステップを踏んで進化してきた。これが3分の1の法則出る。
 40万年前、原人は火を発見したことが、技術革命の最初であった。1万年前、農耕を営む農業革命を果たした。250年前、地下資源の利用と機械を用いる産業革命起こり現在も継続中である。
 6年前、IT技術の進展による情報革命が現在進行中である。
 40万年前、1万年前、250年前、6年前と、技術の新しい局面は時間を40分の1に縮めて展開してきた。
 英知の進化は3分の1、技術の進化は40分の1である。
 エジソンがなくなったとき、ウオルター・リップアン(ジャーナリスト)は「現代の人間が周囲で生ずる急激な変化を十分に理解するために必要とする英知は、発明それ自体が進化する速度に比べると、はるかに遅々とした進歩を示すに過ぎない」と述べた。】
 技術の進歩をコントロールする英知の進歩が、科学進歩の限界にならないか、という問題提起です。
 第3章で社会との関係で生ずる科学の限界、第4章で科学の内在する科学の限界(例えば不確定性原理)、第5章で社会が現実に抱えている諸問題と科学の関係を論じているが、印象に残る記述は、我が国の原子力開発に関する以下の記述です。
 【1954年、政府が決定した突然の原子力予算(いわゆる中曽根予算)に驚いた日本学術会議は、激論の末、自主・民主・公開の3原則の下に原子力の平和利用に踏み切ることにした。一切の情報の公開とともに、民主的で自主性ある運営によってこそ研究の自由と国の技術の発展、そして国民の福祉を増進させることが可能となる。
 この原子力3原則は、翌年に成立した原子力基本法に取り入れられたが、実は最初から空文化する危険性があった。政府見解によれば、民主の原則とは国会で承認された原子力委員会が研究開発を指導することであり、個々の機関はそれぞれの方針と起立に従う、自主の原則とは国会の討議によって決定されることであり、公開の原則は盛夏の公開であって一切の公開ではない・・・
研究の自由が保障されている大学では3原則は守られたが、電力会社ではほとんど無視されてきたことは、外国産の原発の直輸入(非自主:最初はターンキー契約で、日本はキーを回すだけで後は外国メーカーにお任せ)、数億の事故隠し(非公開:数年経ってから明るみにになった事故が山積している)、原子力ムラの暗躍(非民主:批判勢力に圧力を加えパージする)などを盛れば明らか・・原子力開発を監視し規制する独立機関を設立できなかったことも、その後に禍根を残した。】

最終章で、筆者は「等身大の科学」を推奨している。「等身大の科学」とは「ビッグサイエンス」に対置する概念です。ビッグサイエンスとは・・・物質を加速して光速cに近づけていく場合、0.9c、0.99c、0.999cと限りなくcに近づくが決してcに到達しない。そして。桁がより小さくなるにつれ、一桁の変化を実現するために要する装置は巨大かつ高価になる。そうすると、必然的にビッグサイエンス化し、資金を提供する社会(国家)と向かわざるを得ない。
 早晩、ビッグサイエンスはあまりに巨大になりすぎたマンモスと同じ運命をたどることになるだろう。私は逆に身の丈にあった科学、つまり「等身大の科学」を水深すべきであると思っている。それはサイズとして観にタケの対象を扱うのだが、あまり費用はかからず、誰でもが参加できるという意味でも等身大である科学のことである。
 例えば・・・地球温暖化のフィンガープリント(試問)として、世界各地の鳥や虫や植物や魚が、この30年間の間にどれだけ移動したか、開花時期や産卵時期がどれだけはやくなったかの研究・・・・もし地球が温暖化していてこれまでの生息場所の温度が上がると、それらは少し温度の低い場所に移動する。実は動けないはずの植物もゆっくり移動している。植物は幅広く種子を産婦する。適温の場所が変わると、次世代のタネはそこでしか目を出さない。こうして温暖化すれば何世代かの間には、繁茂する最適場所が移動していくのである。一般に等身大の現象は複雑系が多い。複雑系を解きほぐすには博物学的な観察・記録・記載が不可欠。複雑系は多数の要素の集団であり、要素間の非線形関係が重要であった。それらの関係は経験的に得るしかなく、まず事実を記載することから始まる。そのようなデータが多数集まって初めて定量化が可能になる。科学の対象になり始めた複雑系は現時点においては「記載の時代」であり、そこから要素間の有意な相関を見出す段階なのである(経済学も同じでないか)。したがって等身大の科学としての博物学は最前線の科学の担い手とも言える。等身大の科学――複雑系――博物学というつながりをもっと重視する必要があると思っている。