生きるための経済学

「東大話法」の著者、安富さんは面白い論者だ。他にどんな本を著しているのかと、図書館で検索し『生きるための経済学』(安富歩著、NHK出版08年3月刊)を見つけました。
 後書にこんな文が・・・【私が経済学に最初に疑問を抱いたのは、おそらく、中学生のころだと思う。「公民」の時間に、需要曲線と供給曲線との交点で価格が決定される、という話を聞いて、唖然としたのである。
 たとえばある価格でミカンの供給が100個あるとしよう。ところがその価格では需要は70個しかない。すると価格が下がって、供給が90個に減る。こういう説明をきいた瞬間に、ちょっと待ってくれ、さっきは100個ミカンがあったのに、それをどうやって90個にするんだ、と思って面食らってしまった。・・・】
 面白い発想の人だな、と読み始めた。しかし、正直言って、内容は何が書かれているかよく分らない本でしたが、「生命のダイナミクスを生かす」という章で、著者が説く「創発」はこういう意味か、と思いました。
【、人間の大人の脳では、一日におよそ1万個の脳細胞が死ぬことが知られている。一つの脳細胞は1万~10万個の「手」を持っていて、他の脳細胞と接続している。ということは、1万個の脳細胞が死ねば、1億〜10億本の接続が切れていることになる。毎秒という単位で診ても、1000本から1万本は切れている。これだけのスピードで回路が切れながら、計算が安定して実行できる、という事態は現在の電算機の延長上では想像することが出来ない。
 最近の脳科学のなかでは、脳細胞の接続関係そのものに計算能力の源泉を求めることはできず、計算は脳細胞の相互接続の創りだす空間内で生成している脳細胞の作動のダイナミクスそのものが担っている、と考える人が増えている。
 じつのところ脳科学は、非常に無理のある学問である。ある気鋭の脳科学者が教えてくれたのだが、脳は数百億という数の神経細胞でできていると言われるのに対して、脳に電極を差し込んで電気的な振る舞いを見るという動物実験などの標準的な方法では、数個の脳細胞の動きの一部を知ることしかできない。これはちょうど、数人の人に簡単なアンケート調査をして、人類社会全体の作動原理を推定するのに似ている、という。・・・脳神経学者のアントニオ・ダマシオは、身体反応の持つ重要性を明らかにした。ダマシオは、情動と感情とを明確に区分する。耳から爆発音が聞こえたとする。すると無意識のうちに身をすくめ動悸が激しくなり、汗をかく。このような身体反応を「情動」という。それに対してこの身体の状態変化を脳が受け止めて生ずるのが「感情」である。・・つまり、「外界→脳→身体→脳」という形で、いったん、身体を経由しては初めて「意味」が形成されている点に注意する必要がある。】
この身体を経由して考え、意思決定することを筆者は「創発」と言うらしい。

何時まで経っても経済の話が出てこないと思っていたら、第7章で貨幣を論じていた。
【貨幣は「選択権の束」である。この広い選択権は、貨幣というものの属性ではない。多くの人が貨幣を入手したい、貨幣と交換ならば自分の提供できる商品やサービスをいつでも提供したい、と身構えていることの結果である。
 つまり貨幣とは、人々の「需要」という行為が、相互促進的機能をもつことから、自己組織的に形成される動的な構造である。私はコンピュータのなかに多数のエージェントから構成されるモデルを構築し、彼らが「みなの受け取るものなら受け取る」という単純な戦略を採用すると、そこに貨幣が出現することを示した。
 このような単純な行動をするエージェントを組み込んだシミュレーシヨン実験によって、交換の媒体たる貨幣が出現しうる。こうして形成された貨幣は、うつろいやすく不安定である。・・・・少数の人が需要するだけで「皆が受け取る」と人々が認識すれば貨幣は生成するが、ひとたび貨幣が生成すれば、・・・今度は少数の人がその受け取りを拒否しただけで、「もはや皆が受け取るわけではない」という認識が広がって、貨幣は崩壊してしまう。このようにして貨幣は自滅自壊を繰り返す性質を持つ。私はこれがインフレーシヨンや信用不安といったやっかいな貨幣的諸現象の一つの根源であると考えている。】
 貨幣の蓄積という行動様式は、選択権の束をかき集めることを意味する。貨幣が選択権の束である以上、その蓄積は「選択の自由」を拡大する。
 ところが、何をやりたいかわからない状態で選択の自由を拡大しても、何の意味もない。・・・選択の自由を失うことを恐ろしくなり溜め込んだ貨幣を使うことができなくなる。
「貨幣」という経済学の基本概念には、「選択の自由」が存在するはずなのに・・・
 現代経済学の奇妙な点は、・・・・経済学に登場する主体には選択の自由が与えられているように見えない点である。
① 外部から与えられた価格表にしたがって
② 外部から与えられた自分の保有財の価格を計算して予算制約を確定し
③ 外部から与えられた自分の効用関数によって、予算制約を満たすもとも望ましい財の組み合わせを選定する。
これを経済学者は『自由選択』と呼ぶ
こうした仮定された経済人を根底とする経済学でなく、経済主体として「創発」する人間を経済人とする経済学こそ「生きるための経済学」だと、筆者は主張する。
その「生きるための経済学」、具体論は、次著「経済学の船出」を待たねばならぬようだ。

以下、補足です。
筆者は「孔子』を論ずる。「道」は『論語』の最重要な概念の一つである。西欧の思想では、人がすすむべき「道」ということを考えると、不可避的に「岐路」というイメージが出てくる。それぞれの道はどこかに通じており、人間は岐路に立ち、「選択」を迫られる。これが自由である(自由とは選択が自由であること)。
ところが『論語』にはそのような比喩は一つもない。「論語」においては、道は分岐せずどこにたどり着くか分らない。おのずから道に従う・・

 『自立とは、他者に依存しない、ということではない。自立とは多数の他者に依存できる状態を言う(経済学者中村尚志)。』という指摘も面白い(言い換えると、他者の依存を受け入れられる)。