経済学者の集団発狂

「 経済学者の集団発狂」という面白いテーマの論文が、雑誌「新潮45」5月号に掲載されていました。著者は内山節さん。内山さんは1950年生まれの哲学者、大学を卒業せず、独学で哲学を学んだというユニークな経歴の持ち主です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%B1%B1%E7%AF%80
実に説得力のある論文、以下はその要旨です(斜字と括弧書きは小生の補足)。
冒頭こういう文で始まる。『「ヨーロッパに幽霊が出る―-共産主義という幽霊である。・・」マルクスエンゲルスによる「共産党宣言」の冒頭です。共産主義という幽霊は遠方に退いたが、新しい幽霊が徘徊を始めた。金融政策や財政政策、成長戦略によって経済成長がはじまり、あたかも人々に幸せが訪れるかのような。』
内山さんの分析は、まず世界経済の現在の立ち位置を解析します
20世紀までの世界経済は、いくつかの先進国が世界の富を独占するかたちで成立していた。たとえばそのころまでの自動車生産をみると、世界市場に自動車を提供していたのは、米、英、日、仏、伊、独それにスウェーデンのわずか数国である。世界の生産の大半を先進国が握り、それは先進国による富の独占を成立させていた。
それが自動車をみれば、中国や韓国だけでなくタイやマレーシャでも生産されている。先進国による生産力の独占が崩れたのである。
次に、経済グローバル化の背景と問題点について
この変化の中で最初に苦境に立たされたのはアメリカであり、つづいてイギリスであった。それは工業製品の市場競争力の低下としてあらわれ、ここからアメリカはドル(通貨・金融)への依存度を高めていく。アメリカの通貨が国際通貨でもあることを利用しながら、海外のドルを国内に取り込む政策が進められた。アメリカへの投資を呼び込む政策である。その結果、アメリカに過剰通貨が存在する状況が作り出され、・・過剰通貨を投資、運用することで利益を上げていく仕組みを生み出した。この動きを促進するために世界の金融市場の共通化が促進され、ここに新自由主義的なグローバル経済が展開していく。
こうした中で生まれたのが、世界でどれだけのお金が取引されているのか誰も把握できないという今日の状況である。
(だから)今日の問題は、日銀の金融緩和策が不十分だったというようなことではないのである。貨幣を中央銀行がコントロールできなくなっているということに深刻な問題があると考えなければいけない。とすれば世界に徘徊しているお金の取引量をコントロール可能な水準に引き下げるルール作りが必要なのであり、金融規制こそが今日の課題だといわなければならない。
日本経済の高度成長は何故可能であったか
戦後の高度成長期には、企業の発展が人々の所得を増やし、それが物質的な豊かさをもたらしていくというモデルが存在していた。
この時期になぜ日本の成長が突出していたかである。
この時代には、経済成長に伴って先進国ではどこでも労働力不足が発生していた。その不足分を補うために、ヨーロパでは外国人労働者の導入が進められ、アメリカでは移民お受け入れが進んだ。ところが日本はその方向をたどることはなかった。あくまで国内の労働力でまかなおうとした。その結果生じた慢性的な労働力不足が賃金を上昇させつづけた。
(それは)第一に労働者の所得の向上は急速に国内市場を拡大させていった。第二に高賃金に耐える生産システムを作り出すために、企業は生産ラインの省力化、高度化と、製品の高品質化を同時に進めることになったそれが技術革新の時代を展開させ、高品質で信頼度の高い日本製品を生み出させたのである。
この20年の日本経済政策の誤り
 安易な労働力を求めて非正規雇用を拡大し、工場の海外移転をすすめたこの20年余りの結果は、日本製品の競争力の低下でしかなかった。
いま必要なことは何だろうか。それは安易な労働力の利用に流れない経済体制の再確立であり、低賃金や不安定雇用に依存させない雇用政策の推進なのである。必要なことは金融緩和や公共事業を増やすといった安直な財政政策ではない。問題は雇用政策の方にある。
経済成長によってすべての人たちの所得を増やしていくというモデルがもはや通用しなくなりはじめていたことが、バブル崩壊後の雇用の悪化というかたちであらわれたのである。
規制緩和が叫ばれたときは、規制緩和さえすれば幸せな社会ができるかのような短絡的な議論がこの社会を覆った。実際には撤廃した方がいい規制と、むしろ強化すべき規制があったにも関わらず、そのことへの冷静な議論はこの社会から葬り去られていた。グローバルスタンダードなる言葉の大合唱があったときもある。しして今日、デフレからの脱却の唱和・・金融緩和によるバブルの演出がどんな結果をもたらすのかを見ることもなく、思考停止した人々の退廃的な合唱が、この社会を覆っている。

 つまりアベノミクスの危うさを内山さんはこう言うのです
今日の経済の課題は、貨幣取引量のコントロールにある。しかるに、金融の量的緩和は、この課題への回答になりえない。貨幣量を増やす時はいいが、回収して貨幣量を削減することが不可能である。あたかも、放射線汚染物質を海に流すことは簡単だが、海から汚染物質を回収する手段はないのと同じである。
 日本の増やした通貨量は海外に流れる。海外の諸国の経済にどんな悪影響があるか、今日の経済学は回答を見出していない。そういう状況下で、異次元の金融緩和に賛同する経済学者たちは、集団発狂したのであろうか。