東谷 暁さんの新刊

「経済学者の栄光と挫折」(2013年4月朝日新書)を読みました。
東谷さんの本は、以前「エコノミストを格付けする(09年9月)」を読んだことがあります。 金子勝竹中平蔵、リチャード・ク―など著名なエコノミストを縦横無尽に論じていました。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20120111

今回の新刊は、対象をケインズからステイグリッツに至るまで、経済政策に影響を与えている世界の経済学者を対象に、彼らの人生と理論を解説するという大胆な著作です。
以下、興味深い記述の紹介です。最初は経済学者の反省から・・
ポール・R・クルーグマン(1953〜)
『「日本は対応が遅く、根本的な解決を避けていると、欧米の知識人たちは批判してきた。しかし、似たような状況に直面すると、私たちも同じような政策をとっている。・・・日本を批判してきた私たちは、日本に謝らなくてはならない」
「この30年間というもの、現代経済学は良く言って驚くべき無能をさらし、悪くいってしまえば事実上の加害者であり続けたのです」』
フリードリッヒ・フォン・ハイエク(1899〜1992)
アメリカの経済学はまさに「われわれに完全な知恵があるという前提に基づいて」、自らを「科学者」としてとらえ、世界をグローバリズム金融工学で覆い尽くそうとした。それはソ連が妄想した社会主義帝国とはまったく対極にあると思われていたが、実は思想の根本において「同じもの」にほかならなかった。』
次に、経済学者は経済理論の正しさをどうやって正米するのか。
ミルトン・フリードマン(1912〜2006)
『経済理論というものは、その「仮説」と「現実」を比較することでテストすることはできない。そんなことをしても、意味がないからだ。完全な「リアリズム」など明らかに実現不可能であり、その経済理論が「十分」にリアリステイックか否かは、ただその理論が当面の目的にとって十分にグッドな予測をもたらすか、あるいは、他の理論による予測に比べてベターな予測を生み出すかにかかっている。』
 そのフリードマン理論の正しさは?
 『変動為替相場制が実現したことをもって、フリードマン経済学の勝利であるかのように論じる経済学者がいる。しかし、フリードマンが主張していたのは、変動相場制に移行することによって、金融政策が自由になるだけでなく、貿易の不均衡が解消して貿易赤字が消滅するということだった。
 たしかに、ニクソン政権はフリードマンが主要していたようにドルと金との兌換性を否定して、事実上の変動相場制に移行したが、その後アメリカの貿易赤字はまったく解消されず、特に日本が変動相場制に加わってからも対日赤字は膨大なものとなった。』1
IMFが援用する経済理論は正しかったか?
ジョセフ・E・ステイグリッツ(1943〜)
『東アジヤ危機のさいにIMFが採用した資金援助の条件は、彼の目からは完全に間違ったものだった。IMFが東アジヤ諸国に対して資金援助の条件としたのは、財政の引き締めと金利の引き上げだった・・・
 二つの理由から、IMFの診断は重大な影響を及ぼした。第一に、ラテンアメリカのように深刻なインフレ環境では、過剰な需要を抑えることが重要になる。しかし、東アジヤではじまろうとしていたのは景気後退なのだから、問題は過剰な需要ではなく、不十分な需要だった。・・
 第二に、会社の債務があまり大きくないのであれば、高い金利は痛手になるだろうが、引き受けられるものでもない。しかし、崔美羽が大きいときに、高い金利を課されれば、たとえ短期間であれ、これは多くの会社にとって、そして経済全体にとっても、死を宣告されるに等しい。」』
「小さな政府論」の矛盾。
ハイマン・P・ミンスキー(1919〜1996)
『政府は「大きな政府」であれば、金融に翻弄される資本主義が崩壊の危機に瀕しても、それを阻止することが可能だが、「小さな政府」の場合には、不安定を生み出しやすく、危機の際にも崩壊を阻止することができないかもしれない。』
結局、結論として、グローバル経済は国民国家経済に戻らざるをえない!
ピーター・F・ドラッカー(1909〜2005)
国民国家はグローバル経済も情報革命も越えて生き残るだろう。・・・この200年間をみれば、政治的情熱と国民国家の政治が、経済的合理性と衝突したときには常に、政治的情熱と国民国家が勝利を収めてきた。』