「松本清張と昭和史」

(保坂正康著、平凡社新書、2006年5月刊)を図書館の棚で見つけました。『昭和史発掘』、『日本の黒い霧』の著作で知られる清張は、その中で何を語りたかったか。彼が、『昭和史発掘』の連載を始めたのは、昭和39年7月6日号からで,連載は46年12日号まで7年近くだが、この中で、注目すべきは、2.26事件の分量が圧倒的に多いという事実です。昭和前期(昭和2年から20年9月2日、降伏文書調印まで)を俯瞰すると、2.26事件前と2.26事件後という尺度が歴然と存在するが、『昭和史発掘』は2.26事件で止めている。
『2.26事件以後の歴史はまっしぐらに戦争に至る道程として、過度に単純化されてしまう。2.26事件とそれ自体の政治的重みとは別に、昭和戦前期をとらえる枠組みとしては、相当に問題の多い史観である。』(有馬学)という批判もある。
 2.26事件を見るときには、ふたつのことを見ぬく目が必要である。ひとつは青年将校のゆがんだ愛国主義、もうひとつは統制派の歪んだ高度国防国家構想である。この2つを見抜くことで2.26事件は実は4日間で終わっていないことが明確になる、と松本はより深い視点で、この事件に伴う人間関係を描き出している。
 筆者は、昭和中期を連合国占領支配の6年8か月と規定する。『日本の黒い霧』は、この昭和中期を題材に取り、昭和35年、月刊誌「文芸春秋」の1月号から12月号まで連載された。
 (GHQは)占領前期に民主化と非軍事化という政策によって日本にアメリカ型の民主主義を定着させようとした。占領後期、東西冷戦下で日本を西側陣営の橋頭保に変えていった。前期と後期は基本的にまったく違う形を持っている。アメリカの国益に合致する体制として、日本はときに民主主義体制を強制され、ときに反共体制の側に傾斜することを要求されたといいうる。そして・・・
 「占領期の闇」と称するのは、占領前期から占領後期へ移行する時期、つまり政治的変革のプロセスで起こった不可解な事件を指している。それが昭和24年に集中しているのだが、下山事件、平事件、三鷹事件松川事件などがそうである。いずれも国鉄に関連した事件で、列車が自然に動き出して乗客をはねたり、あるいは国鉄総裁が自殺か他殺か不明の死を遂げたりするものであった。
 松本は、『日本の黒い霧』で、これらの事件や事象の背後には、アメリカ側の謀略があったのではないかという見方を貫いている。『昭和史発掘』が2.26事件に収斂されていくように、『日本の黒い霧』はすべてにおいて、アメリカの謀略に収斂されていく。
 こういうアメリカの謀略説はいかがなものか、と思っていたが、近年、日本の政治家が、アメリカと距離を置く発言をする度に、スキャンダルが喧伝され、失脚していく事実を見ると、清張のアメリカ謀略説はもう一度見直すべきかもしれないと、感ずるようになりました。
 アメリカ政府の謀略能力は、今でも顕在かもしれない。