『金融緩和の罠』(集英社新書、2013年4月刊)は知的刺激に溢れた本でした。哲学者の菅野稔人さんが3人のエコノミスト(藻谷浩介、河野竜太郎、小野善康)にインタヴューして、今日の経済学の問題を浮き彫りにするという構成の本です。
 3人の共通点は、「金融緩和によって経済の実態は変わらない」と説く点です。
 まず、藻谷浩介さん。「デフレの正体」なる著書で、ここ20年来のデフレは、生産年齢人口の減少によって生じたと述べている。生産年齢人口の減少は供給を減らすという論は多かったが、需要を減らす側面に照射して注目を浴びました。
 その藻谷さん、「デフレの正体」は『「デフレ」の正体』と書くべきだったと言います。
「デフレ」は、世間で言われているデフレの意味です。つまり、デフレは貨幣現象だが、日本のデフレは、その意味での“デフレ”でなく、“値崩れ現象”だと説きます。
需要が減少するのは、現役人口減・高齢者増加という人口構造の変化によって生じた現象であって、(マクロ経済学の)貨幣現象ではない。この日本の経済状況を「デフレ」と呼ぶことは間違いで、日本で「デフレ」と呼ばれているものが実は、現役世代を市場とする商品の過剰供給による「値崩れ」というミクロ経済学上の現象だといいます。
即ち、「人口減少が貨幣現象としてのデフレを起こす」と主張しているわけではなく、また、「生産年齢人口の減少」だけが原因で「デフレ」が生じたといっているのではない。更に、「生産年齢人口の減少は日本以外の国でも起きているが、デフレが続いているのは日本だけだから、藻谷の論は誤りだ」という批判にこう反論しています。

「生産年齢人口の絶対数が減少しているドイツ、ロシヤ、東欧、韓国、ジンバブエなどではデフレが生じていない。」との「批判」がある。
 ミクロ経済学上の値崩れは、日本のように生産が高度に自動化・機械化され、生産年齢人口が減少しても生産力が減少しない国でなければおきません。ロシヤ、東欧、ジンバブエなどはここで外れます。
 それから、貿易収支が黒字で自国通貨が外国通貨に対して切り上り続けているために輸入品高によるインフレがおきない国でなければ、やはり生じようがない。韓国はここで外れます。さらに、企業が値下げ競争を辞さず、人件費を削りながら不採算商品の大量生産をなかなかやめないという不合理な行動をとる国であることも条件になる。ドイツはここで外れます。
 諸外国と比較したいのなら、生産年齢人口が減っている国同士を比較するのでなく、「生産年齢人口の増減以外の、ほかの基本的な経済状況が同じ国」を探して比べるのが、科学の基本中の基本です。

次のエコノミスト、河野竜太郎さんは、BNPパリバ証券経済調査本部長。この方も大胆な金融緩和に批判的で、「端的にいえば、低成長の原因は人口動態だと思います。そしてそれを認識した上での構造改革や社会制度の構築がおこなわれていないことが問題」と言う。1960年から2010年までの生産人口の伸び率と日本の資本ストックの伸び率のグラフを示して、両者がパラレルに動いていることから、需要としての設備投資が生産人口の増加で決まると説く。「これまでの経済成長の分析は、労働力と資本ストックの動きを、お互いの動きに関係なく動くとしてきたが、両者は関連して動くのです。」
 1980年代まで、日本経済の4%台の成長は、労働力の増加が約1ポイント、」設備投資増加が約2ポイント、生産性向上が1.5ポイントの寄与だった。90年代後半から人口の減少が始まるのはわかっていたのに、それに対する危機意識がなかった。多くのエコノミストが労働力の1%がなくなっても、まだ2%の資本ストックと1.5%のイノベーシヨンが経済を牽引するから大丈夫と思っていた。つまり、設備投資が労働人口に関係なくキープされると考えていたのです。
 各国の生産年齢人口の変化を年ごとに見るグラフをプロットしてみると気付くことがあります。生産年齢人口がピークに達するころ不動産バブルが生ずるのです。生産年齢人口がピークに達するときに、不動産の需要もピークになるからです。そして不動産バブルの崩壊が起こる。バブルが崩壊すると、企業は大量の過剰債務や過剰ストックをかかえ、銀行の不良債権は膨らむ。いわゆるバランスシート問題です。
 そして金融システムに対する不安感が高まると、金融機関の行動が極端に委縮して信用収縮が起こり、実体経済に悪影響を及ぼす。だから、そうした危機には中央銀行が大量の流動性を提供することが重要です。しかし、現在の日本の低成長は、危機が原因ではない。だから、これ以上の金融緩和は必要ない、やっても悪影響ばかりです。
 悪影響とは、例えば、金融機関にしてみれば、成長企業を掘り起こすようなリスクを取っていくより、日銀が価格を維持してくれている国債を買った方が有利だとなって、成長分野への投資をしなくなる。
 最後に河野さんはこう言う。「1990年代以降の日本の経済政策は、家計や国民の購買力といったものにあまりに無関心だったように思えます。」

 3番目に小野善康さんが登場します。
「総理になる直前に菅さんから「金融緩和は効果のあるものか」と聞かれたことがあります。私は即答です。「いえ、今の日本では効きませんよ」。
1970年から2009年までのデータで、横軸にマネタリーベース(日銀券発行高+貨幣流通高+準備預金額)を取り、縦軸に消費者物価指数をプロットすると、貨幣供給量は1996〜2000年で22兆円、2001〜2005年で27兆円増えたが消費者物価上昇率はほぼ0%です。
貨幣供給量と名目GDPをプロットしても同じです。しかし、1980年代後半までは、貨幣供給量に比例して物価もGDPも素直に上昇していたのです。
明らかに90年代半ばに日本経済の構造に大きな変化があった。
―――藻谷さん、河野さんは人口動態の変化が引き金になったといわれますが―――
私の場合には人口動態と違う要因を考えています。私は日本が「発展途上社会」から「成熟社会」に突入したことが原因と考えます。
小野先生によると「発展途上社会」では所得が増えると、モノの購入が増える。しかし、「成熟社会」になると、増えた所得は、モノやサービスの購入に向かわず、貯蓄を増やすのだそうです。所得の増加関数である消費関数の存在を前提とする経済施策が成り立たなくなる。「乗数効果」(公共投資をするとその投資額以上に生産が誘起される呼び水効果のこと)は存在しないのです。
新古典派は物価が下がると需要が回復すると考えるが、小野先生は、物価が下がり続ければお金を持つことが有利になって、モノへの需要は抑えられる。
モノへの欲求よりお金への欲求が強くなる。80年代のバブルは株価や土地の価格が上昇し続けると思われた。今はお金の価値が上がり続けると思われる。お金のバブルです。
そういう社会で、失業を減らそうとすると、政府が直接雇用を作る必要がある。具体的に言えば、高齢化社会を迎えて、介護分野に人を誘導するような施策が必要です。
多くの人手が必要で大きな雇用効果が期待できるのが介護です。成熟社会の戦略は、余り気味の生産能力をどうやって少しでも国民の役に立つ仕事にまわすか、ということです。(介護が仮に付加価値の低い仕事だとしても、労働力を遊ばせるよりは、社会全体として効率的です。)
いわゆる「ベーシックインカム」は、最低生活保障のために国民全員に現金を配るという発想ですが、国民を幸せにするため必要なのは現金でなく雇用です。雇用創出がもっとも大事で、そこからデフレ脱却の経路が開けると考えます。
ということでした。