『変わった世界 変わらない日本』

(野口由紀雄著、講談社現代新書2014年4月刊)は、経済に関する野口理論の簡潔な解説でした。
まず、現在の世界経済、リーマン・ショックの背景から話が始まる。
アメリカの金利が日本より高くても、為替レートが円高になれば、為替差損が金利収入を帳消しにしてしまう。しかし、円安が継続すると、円からドルへの転換が金利差による利益を生み続ける。そのため、円を借りて高金利通貨の資産で運用するという取引が増える。これが「円キャリー取引」と呼ばれる。
 国債決済銀行(BIS)のクオータリー・レヴュー(2007年6月)によると、円キャリトレードは2004年半ばから顕著になり、05年第4四半期に顕著に増加した。
 貸し手は日本の銀行であり、借り手はイギリス、シンガポールケイマン諸島などの金融機関だ。それがヘッジファンドなどの投機資金の資金になったと考えられる。正確な取引規模は把握されていないが、IMFの07年4月の報告によると、1700億ドル、英国経済誌エコノミストの推計では1兆ドルです。アメリカのサブプライム・ローンの残高は1兆ドル程度と言われているが、円キャリートレードの規模は、それに匹敵する。円キャリーで調達された資金が直接サブプライムに投資されたのではないにしても、周り回ってサブプライム関連金融商品に回った可能性は充分にある。
円での調達コストが低いので、こうしたことが生じた。そしてこのことがアメリカの金利を低く抑えるのに寄与した。アメリカは04年6月に利上げに転じ以後も利上げを続けたにもかかわらず、長期金利は上昇しなかった。グリンスパンは、議会証言でこれを「謎」と呼んだ。
 サブプライムローンが顕著に増加したのは、04年から06年にかけてであり、円キャリーの拡大とほぼ同時期だ。
 円安が継続して円から外貨への転換が金利差による利益を生み続けたため。国内の個人投資家による外貨預金や外貨建て投資信託も増えた。さらに、借り入れによって自己資金を上回る外貨投資を行う「FX取引」にのめり込むデイトレーダーも目立つようになった。「主婦がFX取引で数億円の利益を得た」というたぐいのニュースも伝えられた。
 このような取引が増加すると、外貨購入で円安が進行する。
 にもかかわらず、円安は国際的に大きな問題とされなかった。それは、アメリカが脱工業化を実現したため、製造業の利害が政治に反映されなくなったためと考えられる。
 2008年以降、日本の輸出は急激に落ち込んだ。これによって日本経済は、石油ショック時に匹敵する大きな落ち込みを経験した。08年10〜12月期の実質GDPは、前期比マイナス3.3%、年率ではマイナス12.1%である。
 四半期ベースでマイナス成長率になったことは。何度かあるが、年率で二けたの落ち込みは、石油ショック直後に前期比マイナス3.4%、年率13.1%となった1974年1〜3月期以来以来のことだ。GDPの構成要素でみると、輸出の落ち込みと設備投資の落ち込みが激しい。
 80年代以降、世界経済は、ブラックマンデイ、アジヤ通貨危機ITバブル崩壊などの危機を経験してきた。これらは直接の関係者には深刻な問題だったろうが、世界的なスケールでみれば一部の出来事だった。90年代の日本のバブル崩壊も日本では戦後最大の問題だったが、世界経済の動向に影響を与えるものではなかった。これに比べて、アメリ金融危機がもたらした影響は、ずっと深刻でずっと広がりは大きかった。
アラン・グリンスパーンが「100年に1度の危機」と言ったのは、けっして誇張でない。
 とくに日本の立場から言うとそうだ。日本がマイナス12.1%だったのに対し、ユーロ圏はマイナス5.9%、そしてアメリカはマイナス6.25だったのだ。傷がもっとも深かったのは、日本だった。アメリ投資銀行のハイリスク投資モデルは破綻したが、日本の輸出立国モデルも同時に破綻したのだ。
日本は、輸出に頼らなくてもよい製造業の再建が必要なのだ。TPPも輸出製造業を生き残らせようとする戦略で、多くを期待できない。
 アメリカへの輸出が減少したのは、アメリカの消費が落ち込んだからだ。アメリカは輸入国であるため、消費が縮小しても輸入が減るために、GDPに対する影響は緩和されるということである。この消費減によって大きな影響を受けたのは輸出国である。
 麻生総理大臣は。所信表明演説で「米国経済と国際金融市場の行く方から目を離さず」と述べた。これは、現在の危機は他人事であり、対岸の火事であるという認識だった。
 首相はさらに、国連総会で「資本注入に関して、日本の経験を教える」と言った。しかし、日本の経験はそれほど自慢できるものではない。日本経済の基本が破たんしつつあったことを考えると、「日本の出番」などというのは世迷いごとであった。
 2007年から08年にかけてのアメリ金融危機に対してFRBは、大規模な金融緩和を行った。それに続き、数次の金融緩和策が打ち出された。
 08年11月には、その第1弾(後にQE1と呼ばれるが行われた)。この政策の特徴は次の二つ。
 第1は、金利ではなく、量的指標を目的とする「量的緩和政策」だったこと、第2は、国債以外の資産も大量に買い取る「非伝統的金融政策」に踏み切ったこと。具体的には、米国債を3000億ドル購入することに加え、住宅ローン担保証券MBS)を1.25兆ドル購入した。
 QE1は、実体経済にどのような影響を与えたか。失業率を見ると、08年7月までは5%台であった、09年5月には9%台になった。その後も9%台に張り付いた。QE1は雇用を増大させることはできなかっつぁ。
 FRBは2010年11月非伝統的金融政策の第2弾として、6000億ドルの米国債を買い取ることを決定した(QR2)。国債を購入する施策であったため、国際価格が上昇し、利回り低下が予想されたが、実際に起きたことは、逆だった。QE2によってインフレ期待が上昇したためで、実際、インフレ率は、QE2前の1.2%から3.1%に上昇した。
 QE1,QE2に関して、実体経済への影響はほとんど認められない。ただしマネーストックは若干増えた。で、そのマネーはどこへ行ったのだろうか。投資は増えなかった。効果は主として資産価格の上昇に見られる。まず、株価急騰のきっかけになった。ダウ平均は、10年9月から11年3月までの間に3割近く上昇した。また国債価格も上昇した。
 2012年9月、ECB(欧州中央銀行]はユーロ危機に対処するため、南欧国債の購入を決定した。9月13日に、FRBが金融緩和措置の第3弾QE3に踏み切った。MBSを月額400億ドルのペースで購入する。期限の定めなく「労働市場の先行きに十分な改善がみられるまで適切な手段をとる」とされた。
 しかし、アメリカの雇用は伸びず慇懃所得は増えていない。ではアメリカ経済は全体的に落ち込んでいるのか。決してそうではない。経済危機の発生により、アメリカの実質GDPは落ち込み、09年の上半期にボトムになった。しかし、その後順調に回復し11年第3四半期には、ほぼ経済期前のピークを取り戻した。そして、12年第2四半期には、08年第2四半期の8.3%増となっている。
GDPの構成要素をみると、企業利益の伸びが著しい。国内企業の利益は、リーマンショック直後の08年第4四半期に大きく落ちこんだ。しかし、10年第1四半期にはすでに経済危機前の水準を取り戻した。
 金融危機直後には、原油や金などに投資資金が回った。そして2009年になってからは新興国の株式に資金が回った。
 原油価格は、07年秋ごろから急激な上昇を示した。08年7月に1バレル133ドルの最高値になった。アメリ金融危機証券化商品から逃げ出した投資資金が、まず最初に原油に向かったことが、はっきり表れている。
 ところが、リーマン・ショック後、実体経済の急減速が明らかになり原油価格も急激に下落し、08年12月には41ドルになった。
金融危機アメリカから流出した資金は、南欧国債に回ったとみられる。2008年末原油から逃げ出した投資資金も南欧国債にまわった可能性がある。
 12年ごろにスペインの住宅価格下落は顕著になり、銀行の不良債権処理が問題となった。
 安全志向減少で投資資金が南欧国債から流出し、日米独の国債に流れ込んだ。このため南欧諸国の国債金利が高騰した。「ユーロ危機」である。
cf;http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20140629