『ゲノムが語る生命』

集英社新書2004年11月刊)を読みました。
中村桂子さん、ご存じでしょうか。JT生命誌研究館館長、1936年生まれ(小生と同年)分子生物学者、著書に「自己創出する生命」、「生命誌の世界」など。
 かねてから私の尊敬する論客です。
新書本ですが、彼女の思想をあますことなく語っています。考えたいことをすべて動詞で表現したいと、各章のタイトルを動詞にしています。
第1章 変わる
 「スーパーコンセプトとしての生命について考えたい」と『自己創出する生命』を10年前著しました。生命科学から生命誌への移行を考えていたのです。
本章で、社会の中の科学がどう変わってきたか、を述べます。
第2章 重ねる
遺伝子でなくゲノムを単位とすると生命がみえてきます。分かり易い比喩は言語です。言葉は、単語がありそれで文が作られる。単語は常に文全体の文脈の中で意味を持ちます。遺伝子とゲノムの関係も同じです。
現代社会はあらゆることを細分化して成果を上げてきましたが、分けてしまうと“生きる”ということは消えてしまいます。遺伝子に分ける、自然を二つに分ける、学問と日常を分けるなどそれぞれの意味を評価したうえで、すべて重ね合わせてみるときになっているのでは。そこから”生きる“を考える新しい視点が出そうです。
第3章 考える
科学技術文明を問い直す作業は、第二のルネッサンスです。
ルネサンスといえば、中世のキリスト教のもとで抑え込まれていた人間性を開放し、人間中心の近世文化へと転換した運動と、昔教わりました。神様の仰ることを統べて良いこと正しいこととして教会での教えを疑うことなくそのまま受け入れるという生き方とは違う生き方をすることでした。そのため全てのことに対して「何故」という問いを立て、自分で見たり聞いたりしたことをもとに自分で考える必要が出てきました。科学は「なぜ」から出発し、自分で考えるものですから、ルネサンス後に科学が誕生し、知として隆盛を極めているのは当然です。自分で知り、考えたら、もちろん人はそれを表現したくなります。ルネサンスの場合、その多くは芸術作品として残された。現代の科学が生み出した表現は科学技術になります。
塩野七生さんによると、「神様の教えをすべて信じなさいと言われていた中世には“悪魔“がいた。悪いことはすべて悪魔が引き受けてくれ、神様はすべて善で間違いなかった。けれども人間が自分で問い自分で考えることになったルネサンス以後、善と悪を自分で背負わねばならなくなった。ここに人間の複雑さがある。
 論議の対象、現代の科学万能主義と制度化された科学技術への信仰です。
第4章 耐える
複雑さに“耐える”ことが必用。風雑さを複雑なまま受け入れるという態度を明確に示している例を二つ。
センの経済学1998年、ノーベル経済学賞を受けたアマルテイア・センの理論。:金融経済のもとでは貧富の差はますます激しくなります。すべての人が同じである必要はなく、ある程度の差はあってよい。しかし複雑な社会はなぜか、競争原理を持ち込むと、その差が必要以上に広がる。
皇后さまの言葉(国際児童図書評議会の基調講演)子供時代の読書とは何だったか。あるときには私に根っこを与え、あるときには翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げ育っていくときに大きな助けとなってくれました。
「読書は、人生のすべてが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても。
第5章 愛ずる
『虫愛ずる姫君』
川端康成にこの作品の研究がある。当時の仏教的思想から引き出し得る最大限の科学性に特徴があり、アーサー・ウオーリー(源氏物堅いの英訳者)が1929年に翻訳し発表していることを紹介している。
第6章 語る
生命誌研究館は、生き物について考えたことを表現する場です。ここで10年、表現するという試みを続けて分かったことが二つあります。
一つは、表現することが新しい発見を生む。
第2に、科学がこれまで表現したことを再考する必要がある。研究者の表現は、仲間内だけでなく、より広く、多くの人に向かってなされなくてはならない。
居合論的自然観は、自然界は数学的構造をもっており、それを支配する法則は数量的に定式化できると捕えます。科学は、「極める」ことを求めてきましたが、生命誌は「語る」を求めます。1