『ロシヤ闇と魂の国家』(文春新書08年4月亀山郁夫+佐藤優)

を図書館の開架で見つけ、「カラマーゾフの兄弟」の訳者とかつての外務省きってのロシヤ通の対談だから、面白いだろうと借りてきました。
 でも、かなり難解な本。佐藤さんは同志社大学院神学研究科の出だったんですね。
よく分からない本ですが、その中で気にかかった言葉をメモしました。

佐藤『ロシヤでは人に権力はつかず、ポストに権力がつくんです。スターリンは権力が人についた唯一の例外ですが、そのスターリンでさえ終生、公職お手放そうとしなかった。
 プーチンはロシヤの政治史上はじめて、公職を離れても個人カリスマで政治に影響力を持つことに挑んだがそれもどうやら危うい。現時点でのぼくの予測をあえて述べると、2012年にプーチンが再登板するよりも、メドヴェージフが2期連続8年間大統領職にとどまる可能性の方が高いと思う。』

佐藤『米原万里さんもまた、最後まで唯物論者として生きることに執着していました。ガンで亡くなる前、「仏教での葬式が自分の唯物論の信念とぶつからないか」という相談を受けました。僕は、「それは、『物』をどう解釈するかによるので一概には言えないが、米原さんの考える『物』を前提にすれば、仏教と唯物論はぶつからないと思う」と答えました。さらに彼女は、無神論も徹底したがっていました。「両親は確信を持った無神論者だったから、自分が仏教で墓に入ることで両親を巻き込みたくない」というのです。ご存知のように、お父さんは日本共産党幹部で衆院議員だった米原昶さん、お母さんの美智子さんも共産党の婦人団体・日本婦人団体連合会国際部長などを歴任したというように、筋金入りの唯物論無神論者でしたからね。私は「仏教は神を想定していないから、無神論です」と太鼓判を押しました。
亀山『東大の大学院時代のことです。やっと就職が決まって、原宿で送別会があった。そのとき、突然、亀山さんっていつも靴が汚れているわ、今度、靴ブラシをプレゼントしてあげるわって一言言われたことがあることがあるんです。プレゼントの機会はついに訪れませんでしたけれど、なぜか、あのときのあの一言がとても強烈で・・・。あの物質的な感受性というのはほんとうにすごいと思いましたね。彼女が得意とした下ネタも、彼女の唯物論者としての徹底した信念だったんだ、と今にして思うわけです。つまり、目と触覚の人だった。』

亀山『民族的な力は一朝一夕で失われるものではありませんが、でも思うんですよ。1918年から22年にかけて赤軍と白軍との間で行われたロシヤ内戦、1920年代末の第一次5ヵ年計画、1930年代後半のスターリンによる大テロル、1941年から45年の大祖国戦争独ソ戦)という四つの歴史的経験によって、民族としてのエネルギーを使い果たしたと、ね。』
佐藤『・・・あれだけ打ちのめされたロシヤ人が、プーチン政権の8年で、ここまで回復したことから見るならば、民族としてのエネルギーの充電は、それほど困難なことではないのだと思います。』

佐藤『レーニン廟を取り去らないほうがいいと言ったら、「ミイラに対する生物学的興味からか」と聞くから、違うと答えました。・・・「ソ連崩壊後のロシヤが資本主義における貨幣や資本の自己増殖の力の恐ろしさから身を守るには、レーニンでもインチキでもなんでもいいから国家としての目的論を回復することである。のんべんだらりと生きていると国家は漂流してしまう」と言ったことを記憶しています。』