魚は頭から腐る

塩野七生さんの『日本人へ 国家と歴史扁』(文春新書、10年6月刊)という本を読みました。雑誌『文芸春秋』に連載されたエッセイを纏めたものですが、扉にあった次の言葉に惹かれたからです。

『亡国の悲劇とは、

人材が欠乏するから起こるのではなく、

人材はいてもそれを使いこなすメカニズムが

機能しなくなるから起こるのだ。

(「『ローマ人の物語』を書き終えて」より)

“劣性”遺伝と題する章がありました。

【ヨーロッパに、しかも少数しかいないバッファローだからやたらと大切にされている。餌のない冬には、森のあちこちに置かれた餌箱に、人間たちが餌を補給してまわる。・・・狩などは厳禁。狼の群れという天敵もいない。(そのポーランドの)バッファローの数が毎年減っている。

 関係者に言わせると、遺伝子の劣化が原因という。

 北ヨーロッパの雪の降る中でゆっくり動くバッファローの群れを(TVで)観ながら、私は、同じく雪の降る中をゆっくりと移動するパンダを思い出していた。そしてこの連想は、パンダから日本のリーダーたち、端的には日本の政治家たちに及んでしまったのである。

 世襲、言い換えれば二世・三世が悪弊だと言い切るわけにはいかない。ときにはデキる人もいる・・・

 私などは、下部構造が上部構造を決定する、などとは絶対に思わなくなった。それどころか、誰が言ったのかは忘れたが、魚は頭から腐る、のほうに賛成だ。歴史上の国家や民族の衰亡も、指導層が腐った結果で、一般の庶民はその後もしばらくならば健全を保つ。ただし頭が腐るとそれは内臓に及び、身もいずれは腐るのだが。

ではなぜ、身よりも先に頭が腐るのだろう。

 大切に育てられてきたということは、世間の風から守られて育ったということだ。しかし、風って、酸素でもあるのでは?ならば、風に当らなかったということは酸素欠乏。つまり酸欠のまま育った、ということにならないだろうか?そして酸欠とは、脳の働きの鈍化を来たすのでは?

 自民党でも民主党でも、代表を選ぶのに人々の関心が集中しているらしい。・・酸欠症で育った人でないよう祈るばかりである。動物の絶滅品種ならば絶滅して終わりだが、いまだ健全な「身」まで道連れにする「頭」が腐るのでは、日本人としては残念ではすまない想いになる今日この頃だ。

 外国人の歴史家ならば、日本という国と日本人をどう評価するだろう。

 もてる力を活かせないでいるうちに衰えてしまった民族、と評するのではないだろうか。

 日本人は、個々の分野では優れているのである。だが、それらを統合してある種の化学反応を起こさせることで、個々の分野であげていた実績以上の実績に変貌させる才能では、昔から得意ではなかったように思える。それもとくに、第二次世界大戦に敗れて以後はひどく劣化したのではないか。まるで遺伝子が“劣性”遺伝子にでも一変したかのように。