『利休にたずねよ』

利休にたずねよ』(山本兼一著、08年11月PHP刊)を読みました。
 この本、第140回直木賞受賞で、半年ほど前、読みたいと思い東図書館で予約したら「現在180人あまり予約者がいます」ということでした。
先日、「ご予約の本が用意できました」と、図書館から電話があり23日借りてきました。
作者の山本兼一氏(1956年生まれ)は、04年「火天の城」で、松本清張賞を受賞しました。この小説については、4年ほど前に、コメントしました(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20060222
この『利休に・・・』も、「素晴らしい小説だ」と感服しました。
第一、 ぺージ面の漢字とひらがなの割合が美しい。
第二に、構成の工夫がうならせます。最初の章が、利休自刃の日の朝、利休の思いで語られます。最終章が、同じ利休自刃の日。利休の妻の語りです。
 最初の章と最終章の間の22章は、利休自刃の前日、15日前、16日前、という具合に利休の生涯を、それぞれ、秀吉、細川忠興、古渓、古田織部など、利休と係った有名人を語ることで、利休の若き日までさかのぼって行く。時には、利休自身が、千宋易、千与四郎など当時の名前で語る章もあります。
 第三に作者の創作したエピソードが秀逸。茶室待庵での秀吉とのやりとりの章と織田信長の登場する章とを紹介しましょう。

 国宝になっている茶室は三つあるそうです。犬山の如庵、大徳寺の蜜庵、それにJR山崎駅前の妙喜庵にある待庵です。その待庵について「待つ」という章があります。
 天正10年11月、秀吉は山崎の宝積寺城にいる。柴田勝家との決戦を控えて、ただ北陸の雪を待たねばならなかった。雪で北陸勢が出て来れなくなるのを待って、岐阜の織田信孝を囲む腹積もりであった。
 茶室は2畳の小間。
【「いたりませぬが、新しい小間の席でございます。ゆっくり、おくつろぎくださいませ」
宋易が挨拶すると、秀吉が、隈のできたとろりとした眼でこちらを見た。
どうやら、眠れぬ夜がつづいているらしい。
―――無理もない。
ここが、この男の人生の踏ん張りどころだ。手の届くすぐそこに、天下が転がっている。やり方さえ間違えねば、それがつかめる。・・・
 焦らず、時期を待つことだ。待っていれば、かならず勝機がおとずれる。】
【「筍か・・・」
焼いた筍を箸でつまみ、秀吉はけげんな目付きで見つめた。
「筍は春と決まっておる。・・何故冬に筍がある」
「寒筍でございます。陽だまりでは、冬を飛び越えて春がきております」
竹薮の陽だまりを見つけ、炭の粉で黒く染めた筵で覆っておいた。地中がぬくもり、春とまちがえた筍が、顔をだしたのだ。・・・
「思いがけぬ珍味だ」
宋易はうなずいた。
「時は思いもよらぬ早さで駆け巡っております。おこころゆるりお待ちなされ。なにほどの長さでもございません」】
【都の向こうの越前は大雪だろう。
「降っておるな」
「はい、降っておりましょう」】
【「おまえは極悪人だな」
秀吉が、大きな眼を開けて、宋易をにらんでいた。
「さようでございましょうか」
「ああ、筍を騙すなど、極め付きの悪党だ」
「ありがとうございます。お褒めのことばと思っております」】

次は、利休切腹の21年前、永禄13年4月、織田信長の章。
【広い書院の青畳に、茶道具がずらりとならんでいる。
茶碗、茶入れ、棗、釜、水差、花入れなど、その数ざっと百を越えているだろう。
いずれも、世に名高い名物ばかりである。
「―――堺にこれある名器ども、信長様ご覧あるべし。
との触れを出したので、名の知られた茶道具のすべてが、織田家の堺代官松井有閑の屋敷にもちこまれたのである。】
 以下、信長が道具を買い取る様子。
【信長は、また箱に手を突っ込んで、三方に金の粒を積み上げた。
宗次の顔が驚いている。金の量が、茶入れにぴったりなのだろう。信長は絶妙の目利きかもしれない。
 それから、畳にならべてある道具をひとつずつ順番に見て、信長は三方にのせる金の量を決めた。・・・
 信長は、迷うということがなかった。
道具を見る時間は、ひどく短い。
表を見て、裏に返し、それだけでもう値踏みした。
――――天下を呑み込む器だ。
 宋易は、信長という男の器量の大きさに驚いていた。こんな思い切りのよい男は、見たことも聞いたこともない。】
 久し振りに、小説の面白さを堪能しました。