エコノミストを格付けする

エコノミストを格付けする』(東谷 暁著、09年9月文春新書)を読みました。
以下、同書の記述内容のメモ。
金子勝
 グローバル経済や金融至上主義的なものに批判的であっただけに、議論はするどく、予測も的中することが多かった。ことにサブプライム問題が顕在化してからアンドリュー・デウィット氏と『世界』に連載した「グローバル・クライシス」は世界中の多くのデータを少量氏、ほぼ同時進行で読ませてくれた。(Aaa)
リチャード・クー
 90年代に構造改革論から財政出動論に転じた。『諸君』02年1月号で「転向」の経緯を述べてからは、財政出動論者としての氏のスタンスが明瞭になった。(Aaa)
竹中平蔵
 これほどあけすけに、アメリカ金融界との間に立つ「フィクサー」として振舞っていながら、多くの読者の支持を得ていることが不思議でならない。ある親米派の若手官僚によると、「ああいう人がもっといてくれないと、アメリカとの関係が維持できない」とのことである。・・・・(B3)
田中直樹
 経済現象について分析をしている人間というよりも、ある経済団体の方針や、コミットしている政権の政策や、あるいは自分が便乗している流行の議論を、単に持って回った言い方で煽っていることが多い。(B3)
野口悠紀雄
 野口氏の一貫性と論理性の秘密は、徹底した技術革新主義にある。ビジネスモデルにおいてイノベーシヨンがなければ、経済は進展しないとする思想だ。それは一面で正しいが、しばしばイノベーシヨンはバブルと一緒にやってくる。そのためにTTバブルにも、金融技術バブルにも甘かったのだと思う。(A3)
週刊東洋経済』06年12月30日〜07年1月6日号で<日本の将来にとって重要なインダストリーとなりうるのが金融業>と断言。<なぜ重要化といえば、貿易立国から投資立国に変わるべき客観的な状況に日本が置かれているため>だという。
 しかし、こう論じていたころには、アメリカのサブプライム問題は顕在化しつつあり、やがてガイシに国内を席巻されていた英国やアイルランドなどの「金融植民地」は、急激に経済をあっかさせることになる。
 『週刊東洋経済』08年11月1日号では<イギリスの金融立国は、これまでと違った姿になるかもしれないが、終わりにはならないだろうと私は思う。そう考える理由は、世界的な資金の流れは存在しつづけるからだ>と語っている。
野口氏がこの時点で考察すべきは、野口氏が推奨してきた英国やアイルランド方の「金融立国」が、将来の日本のモデルになりうるかではなかったろうか。さらに、製造業利国について『週刊ダイヤモンド』07年2月24日号で<コモデテイ化した製品で量的な成長だけを実現しても利益が上がらないことは、薄型テレビの細菌の状況を見れば明白である。PCの生産で言えば、OSやMPUのようにコモデテイ化していない製品で優位性を獲得しない限り、利益は確保できない>と論じている。いっぽうで、手放しで賞賛しているのがアメリカのグーグルだった。
八代尚宏
 この経済学者にとって「正しい」のは、日本がアメリカ型経済になることだった。結婚も教育も麻薬も完全自由化しろと唱える。「経済学帝国主義者
山家悠紀雄氏
 山家氏が「日本は純債務が少ないので、財政危機ではない」と唱え始めたとき取材したことがある。98年のことだった・・・現在の累積赤字でなぜ日本が今も国債を出し続けることができるのかについて、納得できる答えがほしい。しかし、これは誰もまだ解決していない難問だ。
その他、渡辺嘉美氏をAa3と評しているのが面白い。
この本を読んで感じたこと。
経済学はプロに任せておくには重大すぎる。アマチュアエコノミストの出現が必要だ
梅棹忠夫さんはこう述べていた(1954)。
(当時カメラが出回り、アマチュア写真家が輩出していることから、)「思想は、プロに任せるのは心配だ。アマチュア思想道を確立すべきだ」