ドッジは竹馬を知らなかった

 富山への旅で、車中、「戦後日本経済史」(野口悠紀雄著、新潮選書)を読んだ。面白いと思った個所を紹介します。
 最初は、「ドッジが竹馬を知らなかった」という話。
【「ドッジライン」はデトロイト銀行頭取ドッジのアイデアだとされている。しかし、本当にそうだったのだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
 私が最初に疑問を抱いたのは、「日本経済は竹馬にのっているようなものだ」とのドッジの言葉である。(竹馬の二本の足とは、アメリカの援助資金と政府の価格差補給金)・・・
 しかし、竹馬は、軽くて強い竹があるからこそできる。ところが、竹は東洋の植物で、アメリカにはない。アメリカにも「ステイルト」という竹馬に似た道具があるが、これは大工や左官が使うもので、誰もが知っている子供の遊び道具ではない。】
 著者は、「ドッジライン」は、大蔵省がドッジに吹き込んだものと推論している。こんな挿話もある。
【49年の秋に、「泥棒が入って現金を盗んだ」という新聞記事が出たのを宮沢(後の首相)がドッジに話したところ、ドッジが非常に喜んだという・・「泥棒が物よりもお金に目をつけた」ということは、インフレが沈静化し、通貨に対する信用が生まれ始めたことを示しているからである。】
 次に銀行の話。
【(99年)9月末、金融再生委員会は長銀を米リップルウッド・ホールデイングを中核とする国際投資組合に譲渡することを決定した。02年2月に最終譲渡契約が結ばれ、3月に新しい長銀の営業が開始された。6月には銀行名が「新生銀行」と改称された。
 18ヶ月の特別公的管理期間中に投入された公的資金は約6兆9500億円、あおぞら銀行の分とあわせると、11兆円超の公的資金が投入され、約7兆7622億円の国民負担が確定した。2行を含め、破綻金融機関の処理で確定した国民負担の総額は03年3月末までで10兆4326億円に上った。国民一人当たりにすれば、約8万円だ。・・・・バラマキ福祉とか財政の無駄遣いと言っても、まったく無駄であるわけではない。ところが、この支出は、放漫融資の尻拭いという以外のなんの意味もない。強いていえば「どんなエリート組織も、途方もなく愚かだ」と教えてくれるだけの意味しかない。】
長銀の場合もそうだが、破綻の真の原因を作った人が断罪されていない。実際に判決を受けているのは、スケープゴートと言わざるをえない人々だ。「時効」という制度は、ときどき納得のゆかない結果を生む。】
【98年3月の公的資金注入で長銀が生き延びたのと同じような事態が、他の銀行にもあった可能性は十分にある。つまり、公的資金の注入がなければ、破綻した銀行はもっとあったかもしれない。
 だが、真相は明らかにならずに隠蔽されてしまった。銀行救済のために、公的資金注入だけでなく、超金融緩和政策、法人税の損失繰り延べ期間の延長などの措置も動員された。これらは、間接的な形であるが、国民に大きな負担を強いたのである。】(つづく)