水軍はるかなり

加藤廣は、経済研究所顧問を経て作家。デビュー以前からビジネス書を著していたが、小説『信長の棺』は日経に連載され、当時の小泉首相が愛読書として挙げたことからベストセラーとなった。2005年に作家としてデビュー。75歳での高齢デビューが話題となった人です。
『水軍はるかなり』を読みました。九鬼守隆、熊野水軍を率いた戦国の武将を題材にした小説です。文芸春秋から文庫で出たという広告をみて、「これって前に中日夕刊に連載されていた小説じゃない」。確か2年くらい前だから、単行本が図書館にある筈と県立図書館で検索したら、直ぐみつかりました。早速借りてきて通読しました。
 加藤廣の小説は、歴史の裏話を拾い出すことに巧みな作家で、本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったことから「信長の棺」のストーリーを紡ぎだしたことで、ご存じの方も多いでしょう。
この『水軍はるかなり』は九鬼水軍という主題を取り上げ、信長から秀吉、家康に至る覇権の推移を、興味深いストーリーにまとめ上げています。
 第3章「本能寺の変へ」、から第6章「素顔の天下人」までは、秀吉の天下どりを描き、
第7章「二つの海戦」は、小田原の役での開戦と「朝鮮の役」での海戦の詳細。第8章「夢のまた夢」で、秀吉の最後を描き、第9章「関ケ原の合戦」、第10章「家康天下取り」は家康の権謀術数を描きます。今年話題の真田丸の真田の奮戦も出てきます。
 守隆の幼年時に、信長に「水平線の見え方から地球が球状であること」を教えられる話など、裏話の取り上げ方の巧みさに感心します。
読んで見えない方に「読まれて損のない本」であることを保障します。、

日本病

金子勝さん(経済学者)と児玉竜彦さん(医学者)が『日本病』(岩波新書)という本を出した。以前お二人は『逆システム学』(2004、岩波新書)を著し、経済学に生物学の手法を適合させようという野心的な試みをされた。http://d.hatena.ne.jp/snozue/20060203
その続編らしい。
 医学の抗生物質耐性を例にして、アベノミクスの問題点を指摘する本でした。
インフレターゲット論とは、中央銀行が物価目標を掲げ、金融緩和で貨幣供給量を増やせば人々がインフレ期待を抱き、消費を増やして経済は良くなる。」という考えである。
これは「予測」の操作可能性が論拠となっている。しかし、政府や中央銀行が人々の「予測」をコントロールできるという論拠は何も示されていない。
 安倍政権は武器輸出を「国策」として進めるため貿易保険を適用する。損失が生じれば、税金で補てんする。集団的自衛権を行使する安全保障関連法によって世界中で米国の戦争につきあい、日本製の武器の販売促進を図る。結局、政府の産業政策は、国内市場を作りえず、競争力を失う既存大企業をインフラ輸出政策や税金を投入する官需で救済し、韓国、中国との競合領域での輸出に依存する状況になっている。それが未来の産業構造への転換を遅らせていくと言う悪循環に陥っているのだ。
 バブル経済とその破綻以降、日本経済は、リーマショックを経てアベノミクスから衰退への道を突き進む「日本病」に落ちっていると金子さんは言う。
 複雑なものが病気になるとき、ある特徴的なメカニズムがある。適切でない治療が繰り返されると、治療に抵抗性を有する「耐性」を生み出し、その結果、より深刻な病態を生む。
第2日本章病の症状」で、アベノミクスの正確な評価を試みる。
アベノミクスについてフィルター(好都合なデーヤのみ知らせる)をかけない評価を試みると、目的は達成されず、官制相場で株高を演出し、年金財政を破綻に追い込み、株式市場の外資化を招き、大企業の内部留保と配当だけを膨らませて、貿易赤字を常態化させている。
1995年5月、トヨタが5年間売却できないが「原本」を保証する「AA型種類株式」を個人向けに5000億円発行する計画を打ち出した。その背景にはトヨタも外国人投資家の株式保有率が3割を超えたことがある。
安倍内閣の政権中枢自体が自覚して、異次元の金融緩和を用いて「株高」を演出できればそれでいいという、「偽薬」の政策として行っているのではないかという疑いが濃い。
「株高」演出の間に、安倍首相の本来やりたかった特定秘密保護法、安全保障関連法などの「戦争法案」に急傾斜していき、いまや経済専門家の大半はアベノミクスを公然と支持することを止めている。
 政権延命と、戦争を可能とする法案を進める隠れ蓑として、フィルターを掛けた大量のデータが「アベノミクスの成功」として政府から垂れ流されているのだ。
第4章「主流派の言説と実感のずれ」では、「フィードバックを現場から行うべき」と説く。
第4章、第5章で、エピゲノム8制御系のの崩れ)について述べる。
 前立腺の細胞は、男性ホルモンの刺激で増殖している。前立腺がんになっても最初は、男性ホルモンが必用なので、前立せんの中に留まっている。そこで男性ホルモンの増殖の信号を抑えてしまう薬を用いると、小さくなる。だが、前立せんの中で細々と生き残っていて、そのうちに、男性ホルモンの信号を男性ホルモンがなくても伝えてしまう細胞が出てくる。男性ホルモンがなくても生存するがん細胞は、骨髄でも生存できるようになり、痛みや骨折を起こし全身状態を悪化させる。がん細胞は治療とともに変化している。
 金融の世界で起こっていることを見ても同様な変化が起きている。異次元の金融緩和で、金融緩和に耐性を寺つ経済になりつつあるのでは。
高齢化社会の問題は、25年続く「失われた世代」から生み出されている。
 第7章「日本病からの出口」で、経済政策にも現実を見つめてフィードバックを再確立する重要性を述べる。

『福岡ハカセの本棚』

(2012年12月、メデイアファクトリー)を見ました。
2011年5月から2012年3月、ジュンク堂池袋本店で開催された「動的書房」を本にしたものです。作家や学者が自分の愛読書をあつめて作る「作家書店」その15代目店長になったハカセはその初演名を「動的書房」と名付けました。
 第3章「生き物としての建築」を紹介しましょう。小生がかつて関心を抱いた本でした。
黒川紀章『復刻版行動建築論 メタボリズムの美学』彰国社
八束はじめ『メタボリズム・ネクサス』オーム社
生命体のシステムこそ建築や街づくりのモデルとなると考えたメタボリストたちは具体的なプランを編み出していく。広さや機能が現実にそぐわなかった部屋などのユニtットを、まるで細胞が入れ替わるそっくり取り換えてしまうというものでした。
黒川の設計で1972年竣工した新橋の中銀タワーは、カプセル状の部屋を積み重ねた形で、古くなった部屋を必要い応じて新しいものに交換する仕組みでした。
 ある点で、これは工学的な発想でした。現実にカプセルが取り換えられたことは一度もない。それは「部屋」というユニットが交換の単位としては大きすぎたせいと思う。
隈研吾『負ける建築』岩波書店
隈研吾『自然な建築』岩波新書
伊東豊雄『あの日からの建築』集英社新書
アンガス・K・ギレスビー、秦隆司訳『世界貿易センタービルKKベストセラーズ

『ゲノムが語る生命』

集英社新書2004年11月刊)を読みました。
中村桂子さん、ご存じでしょうか。JT生命誌研究館館長、1936年生まれ(小生と同年)分子生物学者、著書に「自己創出する生命」、「生命誌の世界」など。
 かねてから私の尊敬する論客です。
新書本ですが、彼女の思想をあますことなく語っています。考えたいことをすべて動詞で表現したいと、各章のタイトルを動詞にしています。
第1章 変わる
 「スーパーコンセプトとしての生命について考えたい」と『自己創出する生命』を10年前著しました。生命科学から生命誌への移行を考えていたのです。
本章で、社会の中の科学がどう変わってきたか、を述べます。
第2章 重ねる
遺伝子でなくゲノムを単位とすると生命がみえてきます。分かり易い比喩は言語です。言葉は、単語がありそれで文が作られる。単語は常に文全体の文脈の中で意味を持ちます。遺伝子とゲノムの関係も同じです。
現代社会はあらゆることを細分化して成果を上げてきましたが、分けてしまうと“生きる”ということは消えてしまいます。遺伝子に分ける、自然を二つに分ける、学問と日常を分けるなどそれぞれの意味を評価したうえで、すべて重ね合わせてみるときになっているのでは。そこから”生きる“を考える新しい視点が出そうです。
第3章 考える
科学技術文明を問い直す作業は、第二のルネッサンスです。
ルネサンスといえば、中世のキリスト教のもとで抑え込まれていた人間性を開放し、人間中心の近世文化へと転換した運動と、昔教わりました。神様の仰ることを統べて良いこと正しいこととして教会での教えを疑うことなくそのまま受け入れるという生き方とは違う生き方をすることでした。そのため全てのことに対して「何故」という問いを立て、自分で見たり聞いたりしたことをもとに自分で考える必要が出てきました。科学は「なぜ」から出発し、自分で考えるものですから、ルネサンス後に科学が誕生し、知として隆盛を極めているのは当然です。自分で知り、考えたら、もちろん人はそれを表現したくなります。ルネサンスの場合、その多くは芸術作品として残された。現代の科学が生み出した表現は科学技術になります。
塩野七生さんによると、「神様の教えをすべて信じなさいと言われていた中世には“悪魔“がいた。悪いことはすべて悪魔が引き受けてくれ、神様はすべて善で間違いなかった。けれども人間が自分で問い自分で考えることになったルネサンス以後、善と悪を自分で背負わねばならなくなった。ここに人間の複雑さがある。
 論議の対象、現代の科学万能主義と制度化された科学技術への信仰です。
第4章 耐える
複雑さに“耐える”ことが必用。風雑さを複雑なまま受け入れるという態度を明確に示している例を二つ。
センの経済学1998年、ノーベル経済学賞を受けたアマルテイア・センの理論。:金融経済のもとでは貧富の差はますます激しくなります。すべての人が同じである必要はなく、ある程度の差はあってよい。しかし複雑な社会はなぜか、競争原理を持ち込むと、その差が必要以上に広がる。
皇后さまの言葉(国際児童図書評議会の基調講演)子供時代の読書とは何だったか。あるときには私に根っこを与え、あるときには翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げ育っていくときに大きな助けとなってくれました。
「読書は、人生のすべてが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても。
第5章 愛ずる
『虫愛ずる姫君』
川端康成にこの作品の研究がある。当時の仏教的思想から引き出し得る最大限の科学性に特徴があり、アーサー・ウオーリー(源氏物堅いの英訳者)が1929年に翻訳し発表していることを紹介している。
第6章 語る
生命誌研究館は、生き物について考えたことを表現する場です。ここで10年、表現するという試みを続けて分かったことが二つあります。
一つは、表現することが新しい発見を生む。
第2に、科学がこれまで表現したことを再考する必要がある。研究者の表現は、仲間内だけでなく、より広く、多くの人に向かってなされなくてはならない。
居合論的自然観は、自然界は数学的構造をもっており、それを支配する法則は数量的に定式化できると捕えます。科学は、「極める」ことを求めてきましたが、生命誌は「語る」を求めます。1

『昭和天皇実録の謎を解く』

(2015年3月文春新書、半藤一利、保坂正康、御厨貴磯田道史著)を読みました。
昭和天皇実録』が公開されたのは、2014年5月。宮内庁書陵部が編纂しあ禅6巻、12000ページの史料です。これだけの史料を一般人が読み通すことは困難です。そこで、昭和史の専門家が読んで、対談形式でポイントを説明してくれる本だから、これは一読に値する、と大学図書館で借りてきた次第です。内容を概観すると、
第1章 初めて明かされる幼年期の素顔(明治34〜大正元年
第2章 青年期の栄光と挫折(大正10年〜昭和16年)
欧州訪問で戦争の悲惨を知る。25歳で即位し直面したのが、関東軍の暴走、治安維持法
第3章 昭和天皇の三つの「顔」(昭和6年〜昭和11年)
陸海軍を統べる大元帥立憲君主としての天皇、大祭司という「大天皇
統帥権」の実情
第4章 世界からの孤立を止められたか(昭和12年〜昭和16年)
天皇からの視点で開戦前の日本外交を点検
第5章 開戦へと至る心理(昭和16年)

第6章 天皇終戦工作(昭和17年〜昭和20年)
皇后と一緒に赤坂離宮に皇太后を訪ねる(6月14日)。皇太后の案内で大宮御所の宇焼跡をご覧になる。「軽井沢に疎開してほしい」と疎開を願い出たが、皇太后は「何があろうと、帝都を去らない」と言下に否定する。これは厳しい批判であった。
第7章 8月15日を境にして(昭和20年〜昭和22年)
吹上御所において映画「日本の一番長い日」をご覧になる。(昭和42年12月29日)ただし感想は何もかかれていない。「天皇は下々が困るようなことは決してなされない(半藤)。
第8章 ”記憶の王“として(昭和20年〜昭和63年)
A級戦犯合祀問題

乃至政彦著『戦国の陣形』

講談社新書、2016年1月刊)を読んだ 。
陣形についての歴史を辿り、川中島、三方が原、関ケ原合戦の虚実を述べた部分が面白い。
川中島合戦は、上杉陣が車輪のようになり、V字型の武田軍を叩いては引く戦法を展開したと言われるが、史料的根拠はない。謙信が「車懸り」を使ったのは有名だが、陣形の名前ではなかったことはあまり知られていない。「車懸り」は部隊の配置でなく、運用を表す戦術の名勝だった
 車輪のように円形を組む「陣形」ではなく、縦人になって進撃を繰り返し、側面から次々と新手をぶつけ。敵勢を拘束したところで旗本が旗本に襲い掛かる独自の「戦術」だった。
 関ケ原の布陣図について
 ドイツのクレメンス・メッケル少佐が、関ケ原合戦の陣形を見て、即座に「西軍の勝ち」といったと伝えられる。それは西軍の布陣が、小高い山々を利して、敵を誘い込んで包囲攻撃しうる態勢にあったからで、典型的な「鶴翼」の陣形であった。しかし。
 メッケル少佐は明治18年から21年まで4年間日本にいた。だが、参謀本部関ケ原合戦図は明治26年が初版。メッケルが見た「陣形」は参謀本部の作ではなかった。明治25年の神谷道一『関ケ原合戦図志』もメッケル帰国後である。メッケルが来日する以前だと、古地図の類しかない。それらの布陣図は、どの部隊が西軍でどの部隊が東軍か見分ける作業が必要で、外国人が瞬時にどちらの勝利と判断するのは不可能である。
 重要な問題を多く指摘する白峰句氏の説によると、小早川秀秋の裏切りは開戦とほぼ同時に発生したのであり、それを両軍が事前に看破していたことは明らか。
 小早川の離反が明らかになったので、西軍は大谷良継が心配になり、大垣城からの後退を決意した。だが西に向かう途上で西軍の内部に乱れが生じた。大谷隊もまた独断で西軍主力と合流すべく陣所を離れ東に向かった。小早川の離反に呼応する三将たちは本隊から離脱して小早川軍と合流を決意する。西軍主力と大谷隊が集うところへ東軍が襲いかかり、小早川および三将も西軍を背後から攻撃した。これですべてが決したのである。中近世の合戦はしっかり陣構えして防御を固めていれば、短期間に決着がつくことは意外に少ないのである。

『8人との対話』

という本を図書館の棚に見つけて読んでみました。
1993年3月の文藝春秋社の刊です。司馬遼太郎さんが8人の賢者との対話を記録した本で、各章の且出掲載誌と対談者は以下です。
「リアリズムなき日本人」文藝春秋1976年9月号、山本七平
田中角栄と日本人」文藝春秋1977年1月号、山本七平
「日本に聖人や天才はいらない、文藝春秋1977年2月号、山本七平
「師弟の風景」、別冊文藝春秋173号(1985年7月)大江健三郎
「歴史の跫音を聞け」オール読物1982年6月号、安岡章太郎
「日本文化史の謎」、文藝春秋1977年5月号、丸谷才一
「鎌倉武士と一所懸命」文藝春秋1977年9月号、永井路子
「宇宙飛行士と空海文藝春秋1983年10月号、立花隆
「日本は精神の電池を入れ直せ」、文藝春秋1990年5月号、西沢潤一
「ユーモアで始めれば」、別冊文藝春秋201号(1992年10月)アルフィンス・デーケン